オノ・ヨーコと大西巨人

成田 悠輔 経済学者
エンタメ 読書

 人生で一番本を読んでいたのは、10代の頃です。中学の途中からあまり授業に現れない半不登校児だったのですが、代わりに図書館でよく時間を潰していました。平日真っ昼間の図書館は人が少なくて、本が音を吸収しているからなのか、都心にあっても静寂が支配する空間なんです。授業の代わりに図書館に行っては通路に寝転んで本を眺め、眠くなったらそのまま寝ていました。私にとって読書は昼寝と表裏一体です。

成田悠輔氏 ©文藝春秋

 好きな本には“胃もたれ系”が多いです。コストパフォーマンスが悪そうで、むちゃくちゃ長かったり異様に長い時間をかけて書かれてたり、理解を拒む奇書、暑苦しくて著者や登場人物が過剰に主張している本なんかが好きですね。たとえば戦中育ちの日本の芸術家にそういう過剰さを感じていて、彼らの作品や本によく触れます。高橋悠治さんに荒川修作さん、草間彌生さんやオノ・ヨーコさん、川久保玲さんなどです。

 特に繰り返し読み直すのは、オノ・ヨーコさんの『グレープフルーツ・ジュース』(講談社文庫)ですね。もはや本なのか、本じゃないのかよく分からない本で、短い詩というか断片が1頁ごとに並んでいる。「~~しなさい」みたいな指示になっていて、受動的に本を読むより、読者に何らかの行動を促すものです。「雲を数えなさい。/雲に名前をつけなさい。」といった詩で、日常という繰り返しの行為の外に出ることを読者に求めてくる。ふつうに生きていれば、人間は雲を数えたりしませんよね(笑)。ほかには、「想像しなさい。/千の太陽がいっぺんに空にあるところを。」という抽象的なものもあって、この本の命令は抽象度も難易度も実行にかかる時間・規模も、幅がとても広い。

 普段の生活で自分がしている行為や言葉の使い方がどれほど限定的なのか。ふと頭をよぎったり、想像して頭の中にはあるけれど実際の行動には移せないことが、いかにたくさんあるかを教えてくれる作品だと思います。『グレープフルーツ・ジュース』がいい例ですが、本やアートには新しい価値観やものの見方を掘り出す力がありますよね。読者を非日常的な場所に連れ出して、普段は意識できていない思考や感情・行為を気づかせる機能です。

データ・アート・ライフワーク

 私は社会が生み出したデータをビジネスや公共政策に活かす研究をしているのですが、ネット上の行動履歴や監視カメラ・無数のセンサーが捉えた表情や生体反応などは「無意識のデータ」と言えます。無意識のデータは、資本主義的な市場経済の仕組みや民主主義的な選挙政治の仕組みといった社会のOSを改造できる力を秘めています。数年に一度、政党や政治家の名前を書く選挙という、限定された機会に頭で考えて表明される意見を超えた民意が「無意識のデータ」には眠っているからです。そんな可能性を『22世紀の民主主義:選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』(SBクリエイティブ)という本で素描しました。人間の意識という“手垢”のついていない無意識的なものにアクセスすることができる点で、データとアートは意外によく似ています。

 無意識的なものへのアクセス可能性を高めるために、職業作家が受け仕事として書いたものではなく、勝手気ままで自発的なライフワークとして書かれた本に惹かれます。大西巨人という作家が書いた『神聖喜劇』(光文社文庫)という小説があります。戦時中、北九州のはずれにある島に赴任した日本兵の物語ですが、全5巻で一冊一冊がそれぞれ500頁ほどあります。著者が二十数年に渡って、生活保護を受けながら書き続けた小説で、書くことがそのまま生きることでもあるような本なんですね。

 リチャード・マグワイアというアメリカのなんでもクリエイターの描いた『HERE ヒア』(国書刊行会)も、なんの変哲もないある部屋で太古の昔からはるか未来まで何がおきてきたかのローカルな世界史が一冊になっている異様な漫画ですが、これも完成までに数十年かかっています。いかにプロっぽい「仕事」にせずに仕事をするか、その大切さを教えてくれる2作です。

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source : 文藝春秋 2023年5月号

genre : エンタメ 読書