7月8日、経済学者の成田悠輔さんと批評家の先崎彰容さんによる文藝春秋digitalウェビナーでの対談「『22世紀の民主主義』に希望はあるか」が開催されました。
《動画版はこの記事の一番下にあります》
情報化が激しく進む現代の社会環境においてありうべき民主主義のかたちについて、著書『22世紀の民主主義』の中で「無意識データ民主主義」という言葉を与えた成田悠輔さん。その構想がもつ問題意識と可能性に先崎彰容さんが迫るオンライン対談のテキスト録を公開します。
強者が駆動させる資本主義、弱者が駆動させる民主主義
先崎 本日はイェール大学の助教授で、半熟仮想株式会社代表取締役でもある成田悠輔さんにお越しいただいています。成田さん、よろしくおねがいします。
成田 よろしくおねがいします。
先崎 今回は、7月6日に刊行されました成田さんの新著である『22世紀の民主主義』の内容についてじっくりお話をお聞きしたいと思っています。まずは成田さんがこの本をどういった経緯とか動機でお書きになったのかというお話から聞かせていただけるでしょうか。
成田 実はあんまり深い個人的な動機があったわけではなく、どちらかというと受け身的に書き始めたものなんです。この本を書き始める前、民主主義とか資本主義という概念についてどう思うか、という大雑把な質問を受ける機会がすごく増えていた。聞かれたら一応答えをでっちあげないといけない。だからインタビューを受けるたびに、民主主義について自分がこれまで断片的に読んできたもの、考えてきたものをブリコラージュ的に組み合わせていくようになりました。民主主義の現在と抱えている問題、それに対する短期的な処方箋と、長期的な処方箋。それらをざっくりスケッチ的に考えることをなかば強いられてやるようになった。そのときはまだ明確な文献や方法論にもとづいた考えではなかったですが、おしゃべりの延長上のようなかたちで、この本の原型を考え始めるようになりました。
そして考え始めてみたら、自分の考えていることのひとつひとつのパーツは、意外にいろいろな人たちがいろいろな場所で表現されていたり書かれていたりする。でもそうしたものを、そこそこ多くの人たちが読めるようまとめているものはなかったので、まとまった形として書いてみることには意味があると思って書き始めた本なんです。だから自分としては、何を書くべきかということよりも、どう書くかということや、どのように説明するかということに気を配りながら書いた本、という感じです。
先崎 本のなかには我々にとっても身近な話がいくつかありまして、たとえばコロナの被害とかですね。大局的に見たときには、民主主義国を名乗っている国のほうが、コロナで非常に危機的な状況に陥っているということが書かれていました。それから経済についても、民主主義国は低成長にあえいでいる状態であるとも。一般的には、じゃあ中国みたいなものがいいのか、という話になりそうですけど、成田さんはそれとは違う形でこの民主主義の危機について書かれていますよね。成田さんが民主主義と資本主義についてどうお考えになられているのか、あらためてご説明いただけたらと思います。
成田 この本の範囲では、たぶんすごく常識的で、ナイーブな整理の仕方をしています。プラトンがかつて言っていたようなタイプの整理をほぼそのまま持ってきている。ざっくりと説明しますと、資本主義的な仕組みというのは、つよくて賢い者によって駆動されるような、社会の動かし方です。つまり、アイデアや知恵や資源をもつ者が事業を始めだして、そこから生まれた収益が私的財産権みたいなものにしっかり守られていて、さらに資本市場の力をかませて再投資されていくと、富める者がますます富んでいくような傾向になっている。ある意味で異常値をもった強者によって駆動される仕組みが資本主義です。ただ、当然それは人がたまたま生まれ持った才能や運をものすごく増幅してしまう仕組みなので、ほっておくとそこから零れ落ちたものたちが生まれてくる。
そういう人びとが立ち上がって資本主義に対するカウンターカルチャーとして作り上げるような社会の仕組みが、民主主義的な政治制度なのではないかと。あらゆる人を、少なくとも名目的にはちゃんと包摂して、ちゃんと共存していくことを重視する。人間のもっている才能とか、資産みたいなものとは独立した個人という単位を作り出して、あらゆる個人に同じ力や声を与える。弱者によって、平均値によって駆動されるのが民主主義の仕組みとなっている。そういう意味で、資本主義は強者によって駆動され、格差をどう作り出していくかという仕組みであるとするならば、民主主義はむしろ、そこで生まれる格差に対するある種の緩衝材を提供する仕組みとして整理できる、という視点をこの本ではとっています。
先崎 弱者と強者みたいな差がないと資本主義はそもそもなりたたないわけですよね。欲望というキーワードでいうなら、常に差をつくり、消費とか流行によって刺激を生み出したりしている。そういう意味では、政治制度としては自由主義のほうに近づいていく。一方で民主主義というのは、平等を担保する。そこのところのかみ合わせに対応しながら、今まではシステム運営をしてきたということなんですよね。
ところで、この民主主義というのは一見平等を目指しているように見えますけど、実は戦前の一時期には日本社会においてテロを引き起こす原因にもなっていたんですね。まさに今日と同じ意味でのテロ事件によって、当時の首相が暗殺された事件が過去にありました。戦前は、国民は天皇のもとの赤子であると言われていたわけですが、その事件の犯人が言ったことはですね、ひとはみんな平等であると、戦前ですから天皇のもとの赤子であるという意味ですが、それなのにこの落差はいったいなんなんだ、というのが犯人の怒りの駆動因、あるいはそれを説明する原理として使われるんですね。民主主義は実はそういう恐ろしい一面も持っている。
成田さんからすると、資本主義と民主主義がアクセルとブレーキをやっていたような状況が、現代ではうまくいかなくなっているというのが大きな危機意識としてあると思うのですが、そのあたりはどうお考えでしょうか。
成田 そのふたつのバランスが大きく崩れ始めたように見えるのが、ここ四半世紀という気がしています。それ以前の世界には、冷戦的な政治や経済制度の二項対立があった。その対立が一見なくなって、冷戦後の世界に入ったあたりから、なぜかその二項対立で勝利したはずの資本主義+民主主義陣営の機能不全が始まっていると、少なくともデータとかさまざまなエピソードからはそう見えるわけです。
その問題意識が、間接的にいろいろなかたちで語られることはあったんですが、いま世界が抱えている大問題のひとつとして明確に議論されることはあんまりないな、という印象があったんですね。なのでそこから話をはじめてみたかったという感じです。
先崎 イェール大学ではこの本のような内容のことを授業で教えられているんですか?
成田 いえ、まったく教えてないです。
先崎 向こうではどんなことを?
成田 僕は研究者としては、定量的なデータを扱う社会科学の研究と、それと結びついた情報科学とか統計学の研究の混ぜ合わせのようなことをやっているんですね。そういう意味で言うと、この本にあるタイプの議論が研究としては認められなくなってしまった領域にいるんです。よくも悪くも科学化されエンジニアリング化されたような領域です。
だから大学ではこの本に書かれているようなことをまったく教えてないですし、学術研究でもやっていない。そういう意味で、この本では自分の狭い意味での専門性とはあまり関係のない、自由学芸のような気分で書いてみた感じがあります。
先崎 成田さんの本に書かれている無意識データ民主主義という言葉は、そういったご自身の研究の領域とも響いているんじゃないかと、僕は思ったんですけど、どうでしょうか。
成田 そういう意味で言うと、間接的な関係はある感じですね。この本の最初のほうで議論されている、さきほども話した民主主義と資本主義の二人三脚の機能不全、それがデータではどういう形に現れているのか、検証している部分は、自分の研究者としての専門性と直接にかかわっている感じはあります。その意味では、この本の10%、20%くらいは研究者としての自分から出てきている部分なのかなと思います。
分散化する日本社会の姿
先崎 成田さんの本は章立てのタイトルがはっきりしていますよね。第1章は「故障」ということで、民主主義と資本主義というアクセルとブレーキの組み合わせが破綻してしまっていること、その影響で経済成長もうまくいっていないことを、データを参照しながら解説されています。第2章は「闘争」、第3章では「逃走」、それから最終章が「構想」という章立てになっています。第2章の「闘争」では、現代の民主主義の選挙制度の在り方に対する違和感などが表明されていると思うのですが、そのあたりを解説いただけないでしょうか。
成田 民主主義と資本主義のタッグの機能不全を作り出しているいくつかのチャンネルがある場合、その問題を直接解消するような処方箋にはどんなものがありえるのか。それを主に議論しているのが第2章です。
この四半世紀、いわゆる民主主義と資本主義を代表してきたような欧米の先進諸国、そして日本が、なぜ経済的なパフォーマンスでうまくいっていないように見えてしまうのか。おそらくインターネット産業の勃興がすべての根本である可能性が高いです。ざっくり言うと、インターネットによって、コンピュータ産業がただの情報と計算の産業から、コミュニケーションの産業に変貌した。コミュニケーションというのは、言論であり表現であり、そして発言でもある。民主主義的な国々というのは、この手の表現全般に対する自由をアイデンティティとしてきた国々です。だからここ15年から20年くらいで人類がつくりあげてきたインターネット産業の影響を一番受けたのが民主主義諸国でした。民主主義における表現の自由と、インターネット産業が作り出した超大人数同期コミュニケーションとの化学反応によって、民主主義の前提条件がだいぶ崩れてしまった。つまり、みんながそこそこ正確な情報を共有していて、それに基づいて議論が行われて、そしてその議論はそこそこ冷静なものでなければならない、という前提が崩れたんです。
現代は、人によって見ているものがまったく違うし、フェイクニュースもヘイトスピーチもやり放題になっている。ひとりのインフルエンサーがなにかを発言すると、それに同期してばーっと拡散してしまうタイプのコミュニケーションが可能となってしまった。実際ここ15年間くらいで、民主主義的な国ほど、政治家とか政党とかがマイノリティに対するヘイトスピーチを公然とするようになってしまっている。それから、外国を悪者にして貿易戦争を仕掛けることで、ちょっと右に寄った世論の興奮をつくりだしていく典型的なポピュリスト的言説も、やはり民主主義的な国ほど増えている傾向があるんですよ。
そしてこの変化が経済にまで波及してしまったことも重要だと思います。たとえば経済政策も、トランプの中国との貿易戦争が象徴するように、自国第一主義的な政策がとられる傾向がつよまった。さらに未来に向けた資本投資みたいなものも、民主主義的な国ほど減っている傾向があるんです。未来や他者に対して開かれた経済活動みたいなものが、民主主義的な国ほどおこりにくくなってしまった。
インターネットが作り出したコミュニケーションと情報環境の変容というのが、まず政治の世界を変えてしまい、さらに経済の世界まで変えてしまった。これがたぶん問題の背景にあるんだろうなと思います。
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source : 文藝春秋