油絵具で描かれた太い眉と口ひげ。付け鼻とわざとらしい眼鏡と葉巻。両膝を曲げ、前かがみになって大股で進む歩行(大股潜行歩きとも呼ばれるが、英語ではシンプルにstooped walkという)。高音部に特徴のある声で、これでもかこれでもかと繰り出される屁理屈と軽口。
グルーチョ・マルクスに初めて触れたときの新鮮な驚きは、いまも脳裡に焼きついている。その名を知ったのは、ご多分に漏れず、小林信彦さんの著書『世界の喜劇人』を通じてのことだ。
書棚から引き出して奥付を見ると、1978年11月第5刷(初版は73年)とある。ポール・D・ジンマーマン著『マルクス兄弟のおかしな世界』(小林さんと永井淳さんの共訳)の奥付も、ほぼ同じ時期だ(こちらの初版は72年)。
この2冊に触発されて、私はマルクス兄弟の映画を見はじめた。日本では満足に見られないので、少し経ってからアメリカでビデオを買うことが多かった。欧米での発音が「グラウチョ・マークス」に近いことは重々承知の上で、ここでは私自身が慣れ親しんできたグルーチョ・マルクスという表記を採用しておきたい。
グルーチョ・マルクスは、マルクス兄弟の三男坊だ。長兄がチコ(1887〜1961)、次兄がハーポ(1888〜1964)。グルーチョは1890年生まれ(チャップリンより1歳年下)だから、3人の年齢にはほとんど差がない。グルーチョには、ガンモ(1892年生まれ)とゼッポ(1901年生まれ)という弟もいたが、ガンモは映画出演がなく、ゼッポは、パラマウントが製作した初期の5本に出ただけで映画界を去った。
グルーチョは、兄弟のなかのエース格だった。ヴォードヴィル出身だけあって歌と踊りはともに達者だし、とにかく頭の切れが図抜けている。《私は、私を会員にするようなクラブには入りたくない》というジョークは、彼の発言のなかで最も有名だが、これは映画の台詞ではない。1949年、アースキン・ジョンソンというコラムニストが、ハースト系新聞のコラムで紹介したものだ。
グルーチョの毒舌は、もちろん映画のなかでも冴え渡った。ただ、鋭利で辛辣な批評性よりも、詭弁と強弁の横車に舌を巻く。恐れを知らず、圧倒的にでたらめで、ナンセンスを極めている。
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