飯倉片町の〈キャンティ〉が西麻布の交差点近くに支店を出したときだから、1980年代半ばごろの話だ。〈十々〉の先をもう少し広尾に寄った地下の店。
その店で、私は勝新太郎を見かけたことがある。ガルボハットのようなつば広の帽子を目深にかぶって席に着いていた彼は、つぎの瞬間、音高らかに指笛を吹いてウェイターを呼んだ。
それはないだろう、と私は反射的に思った。犬に合図するのじゃあるまいし、ヨーロッパあたりでこれをやると、冷ややかな空気が瞬時に流れる。そんな振舞いを、よりによって勝新太郎が……。
好意を抱いていた俳優だっただけに、ちょっとしたショックだった。豪放磊落で奔放不羈な「遊び人」というパブリック・イメージを自己演出しようとしたあまりの勇み足だったのか。それともたんに不覚を取っただけなのか。答は出ぬまま、そのときの音と姿だけが、喉に刺さった魚の小骨のように記憶に残った。
勝新太郎は、1960年代をリードするダーティヒーローだった。いや、日本映画史上初めて出現した新型のヒーローと呼んでも過言ではない。少し前に三船敏郎がいたではないか、という異論はすぐに聞こえてくるが、三船の役柄は、基本的にワイルドな善人だった。ダーティという形容からは少し外れる。
さらに時代をさかのぼると、大河内傳次郎や阪東妻三郎の名が浮かぶが、いずれもダーティの種類が異なる。50年代に登場した中村錦之助や石原裕次郎も、別の体質だ。ハリウッドの異端ヒーローだったロバート・ミッチャムやカーク・ダグラスにしても、放つ匂いがちがう。
そう考えると、60年代初頭という時代に出現した『悪名』(1961)や『座頭市物語』(1962)の主人公は、革命的なキャラクターと呼びたくなる。相手役に曲者俳優を得ると格別の輝きを見せるのも、このヒーローの特色だ。その役柄を乗りこなせるのは、芝居もアクションも抜群にできる勝新太郎ひとりだった。錦之助や裕次郎はもとより、同世代の市川雷蔵や高倉健も、このキャラクターには向いていない。いわば、俳優と役柄の一生に一度の出会いだ。
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source : 文藝春秋 2023年2月号