孝子ママがいなければ、あの曲は生まれていなかった――「冬の稲妻」や「昴」など数々のヒット曲で知られたシンガーソングライターの谷村新司さんが10月8日、74歳で亡くなった。音楽仲間として、半世紀近くを共に歩んだジュディ・オングが忘れられない日々を振り返った。
「おお、ジュディ!」
谷村さんは顔を合わせると、いつもそう言って、ぐっと肩を抱き寄せてくれました。台湾から日本にやってきて、芸能界で戦っている私のことを気にかけてくれていたんでしょうね。その時の優しい眼差しは、今でも目に焼き付いています。
谷村さんと初めて会ったのは、私が「魅せられて」(1979年)をリリースする前ですから、もう40年以上前です。すぐに意気投合して、「ご飯、食べに来ない?」って、ご自宅に招いてくれたんです。それ以来、何度もお邪魔して、孝子夫人と一緒に夕飯を作ったり、まだ幼かった息子さんと遊んだりしました。将来に不安を抱えていた20代に、谷村家の一員のように過ごすことができたのは、今でもかけがえのない思い出です。
コロナ禍の間は会うことができませんでしたから、最後にお目にかかったのは5年くらい前です。ラジオで共演したのですが、「こんなに細かったかしら?」と意外に思うくらい身体を絞っていた。「体を鍛えてるんだ」とおっしゃる谷村さんに、「鍛え過ぎじゃない? そんなにトレーニングしなくていいんじゃないの?」なんて話をしたのが、最後のやり取りになってしまいました。
今年の3月に急性腸炎で入院されましたが、それまでお身体が悪いなんて話は全く聞いたことがありませんでした。まだ亡くなって間もないですから、谷村さんがいないと言われても実感が湧かない。今でも優しく呼びかけてくれるような気がするんですよ。「おお、ジュディ!」って、ね……。
10月8日、谷村新司が74年の生涯を閉じた。大阪府出身で、1971年に結成したフォークグループ「アリス」のメンバーとして一時代を築き、ソロとしても活躍。山口百恵に提供した「いい日旅立ち」や、60万枚を売り上げた「昴―すばる―」、「24時間テレビ」(日本テレビ系)のテーマ曲「サライ」など数々の名曲を残してきた。
私生活では、6歳下の孝子夫人と結婚。長男でアートディレクターとなった大輔氏と、長女でシンガーソングライターの詩織さんの2人の子宝に恵まれた。
音楽仲間として、半世紀近くを共に歩んだジュディ・オングが忘れられない日々を振り返った。
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source : 文藝春秋 2023年12月号