「不吉な化学記号の解読」キリアン・マーフィ

スターは楽し 第215回

芝山 幹郎 評論家・翻訳家
エンタメ 映画

 キリアン・マーフィは、スターになろうとしなかった役者かもしれない。

 日本映画でいえば、岸田森や成田三樹夫の体質に近いだろうか。特異な性格俳優であることはたしかだが、いわゆるビッグネームや大衆的人気などはあまり求めていない印象があった。

 そんなマーフィが、アカデミー主演男優賞を獲得した。『オッペンハイマー』(2023)を見れば、ごく順当な結果だ。

キリアン・マーフィ ©REX/アフロ

 明晰で鋭敏で繊細でいながら偏執狂的な側面が強く、評価をめぐって世に物議を醸した物理学者の肖像を、マーフィは重層的に彫り上げていた。解放感を伴わない『アラビアのロレンス』(1962)とでもいおうか、積み重ねられたオブセッションや不安の深層に横たわる「恐怖」が、複雑な色合いで描き出されている。

 そんなマーフィがいままで一度もオスカー候補に挙げられてこなかったのは不思議というべきか、妥当というべきか。

 映画好きならば、マーフィの顔や名前には長く親しんできたはずだ。青い瞳。高い頬骨。シベリアン・ハスキーを思わせる犬狼系の容貌で(若いころの吉増剛造にもちょっと似ている)、演じた役柄もすぐさま脳裡に蘇る。

 私が最初に彼の名を覚えたのは、ダニー・ボイル監督の『28日後…』(2002)に主演したときだった。いわゆるバイオハザードもので、疫病の感染をまぬかれた人々が必死に生き延びるという定番のストーリーだ。舞台は英国。

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source : 文藝春秋 2024年5月号

genre : エンタメ 映画