「ここは母が残してくれた家で、もともとは劇団『青年座』が建てたものだったんです。母が買い取って、3階を劇団の稽古場として貸していました。俳優の西田敏行さんも、よく来ていたみたいですよ」
2023年10月23日、東京・下北沢駅の近くにあるご自宅で、フジコ・ヘミングさんはそう話していました。
スウェーデン人建築家の父と日本人ピアニストの母のもと、ベルリンで生まれたフジコさん。幼少期に帰国後、東京芸大卒業後にドイツに留学。しかし風邪が原因で聴力を失ってしまいます。後に左耳の聴力は一部回復し、ピアノ教師などをしていました。
そして1999年、NHKのドキュメンタリー番組『フジコ~あるピアニストの軌跡~』で人気が爆発。同年8月に発売されたデビューCDの「奇蹟のカンパネラ」は、クラシック音楽として異例の大ヒットを記録します。リストやショパンなどロマン派の作品を得意とし、長年にわたり、国内外で精力的に演奏活動を続けていました。
私がフジコさんのもとを訪れたのは、『文藝春秋』のグラビアページの「日本の顔」の撮影のためでした。同企画は、各界を代表する著名人の方々の仕事現場や日常生活、プライベートのひとときを、ドキュメント風に撮影する、いわば雑誌版「情熱大陸」。そのため、取材対象の方々に何日間もお時間を頂き、何カットも撮影をするのです。この日は、フジコさんの「日本の顔」の最初の撮影日でした。
その直前まではヨーロッパでコンサートツアーを行っており、撮影日は帰国して間もなくのこと。自宅の中に入ると、フジコさんは電子タバコを吸いながら自宅のリビングで寛いでいました。数年前、メディアで「禁煙した」と語っていたため、私が「タバコはお止めになったと思っていました」と聞くと、笑いながら「いまはこれ(電子タバコ)」と。止めたのは紙タバコだけだったようです。
〝大の猫好き〟で知られるフジコさん。下北沢の家にはその時も8匹の保護猫がおり、こんなホンネも漏らしていました。
「子供の頃から私は猫が好きで、よく拾ってきて可愛がっていたの。いま家にいる猫は家政婦さんたちが連れてきた子。最近は人間が死ぬよりも、猫が死ぬ方が悲しい(笑)」
撮影中、リビングに置いてあるピアノで演奏もして頂きました。フジコさんがご自身で「私の指は太いけれど、これがいい」と語る指先から紡がれる荘厳な音楽に、私もカメラマンも聞きほれてしまいました。お母様が残されたドイツのブリュートナー社製のピアノで、「日本には3台しかないの。私と皇族、京都のお坊さんだけ」と語っていました。
次に予定していた撮影日は11月3日。上野の東京文化会館で公演が行われていたオペラ『ノルマ』を鑑賞しに行くところを、撮らせて頂くことになっていました。
しかしその直前、ご自宅で転倒してお怪我をされてしまい、急遽、上野での撮影は中止に。以降の日本各地で予定されていたコンサートもキャンセルされていました。ご回復を待っていたのですが、今年3月にすい臓がんと診断され、4月21日、亡くなられました。92歳でした。
コンサート会場での撮影もお願いしていましたが、残念ながらそれは叶わず、ご自宅で弾いて頂いたピアノが、私が最後に聞いたフジコさんの生の演奏になってしまいました。心からご冥福をお祈りいたします。
(編集部・柳原)
source : 文藝春秋 電子版オリジナル