労働省で初代婦人局長に就任し、「雇均法の母」と呼ばれた赤松良子さんが死去した。94歳だった。赤松さんは2020年、ジャーナリスト・秋山千佳氏の連載「“東大女子”のそれから」に登場、若い世代への思いを語っていた。
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同級生になった800人のうち女は4人
――赤松さんは少女時代、職業婦人に憧れていたそうですね。
赤松 職業を持たないと一人前になれないと考えていたの。私は昭和25(1950)年に津田(津田塾専門学校、現・津田塾大学)から当時3年制だった東大に進みましたが、津田の学風が、職業を持ちなさい、自立しなければ発言できないというものだったんです。私も昔からそう思っていた。というのも私には兄弟がいっぱいいるんだけど、長男が威張っていて、今でも忘れないけれど「この家のものは竈の下の灰まで俺のものだ」と言われたの。戦前は民法上、親の財産は全部長男が相続するものだったんです。私は女の子、特に末っ子だから、何ももらえない。頭にくるなと思っていたら、高等女学校の時に戦争に負けた。それで民法がガラッと変わった。その点は良くなったんですよ。
――制度は良くなったということですね。
赤松 そう。制度が変わって権利ができた。一方、教育はというと、大学を女に開放したのね。戦争が終わるまでは、東大はおろかどの大学も女には閉ざされていて、女子大と名のつくものは専門学校だったんです。これも頭にくると思っていたら、東大を受験できることになって、大喜びで受けました。だけど女性が多かったのは文学部で、私の行った法学部は、同級生になった800人のうち女は4人。
――ごくわずかだったんですね。ご著書には、男子学生が非常に進歩的で驚いたとありました。
赤松 進歩的というか、親切だったの。例えば入学した時に、男の先輩が法律の教科書をたくさん抱えて「あげるよ」と持ってきた。私は貧乏学生だから大変だと思っていたら、使い終えた教科書をくれたの。それから別の先輩は、私に奨学金が出るように取り計らってくれた。
――えっ、先輩がですか。
赤松 「彼女の成績はまだわからないところがあるけど、実家が大阪だし女の子で寮もないし、お金に困るだろうから奨学金をやってください」とその人の知っている大学の事務の先生に頼んでくれてね。とにかく男の学生が親切だった。800人中4人しか女の子がいないから目立つじゃない(笑)。それで私は、社会に出ても男性が皆親切なものかと思っていたら、そんな事はないよね。
親切じゃないけど、意地悪ではなかった
――社会に出てからも、周りには東大卒の男性がたくさんいたと思いますが。
赤松 労働省の同期生が20人くらいで、1人だけ京大の人がいて、あとは東大だった。
――学生時代は親切だったという東大の男性は、社会に出てからもそうでしたか。
赤松 それは職業上、競争になるからそんなに親切じゃないけど、意地悪ではなかったわね。ただ、女性は決まったコースがあるみたいだなと私も皆も思っていた。婦人少年局という局長も課長も女性の局があって、最後はあそこの局長か、なんてね。
――女性だけ先が見えていたわけですね。
赤松 見えたのね。だから男はあまり意地悪しなくたって「彼女はあそこの局長だ」と。婦人少年局の地位は高くなかったんです。重要とされる他局に比べたらドーンと下がる感じで。だから私、なにさと思って、色んな局で働かせてほしいと希望を出したんですよ。でもあまり実行されなかった。
――上司が、女性を男性と同等に扱おうとはしていなかったですか。
赤松 家庭持ちで、子どもが小さいのに夜中まで働かせるわけにはいかないよな、という感じでしたね。こっちだって夜中まで働かされたらたまらない。だけど国家公務員は夜中まで働くのよ。今だって夜中、霞ヶ関を通ったら電気が煌々とついているでしょう。そりゃよく働きます。
――よく働きますけど、家庭がある女性を生かそうという職場ではないですね。そのあたりは、今の若い世代の悩みとあまり変わっていないような気もします。
赤松 そうかもしれない。そうは変わらないわね。
女性がライバルになってきた
――むしろ若い東大卒の女性たちに聞くと、東大の中にいるときから男性からの差別があると。
赤松 東大にいる間に? 同じ授業を受けて試験も同じで、点数だってゲタを履かせてはもらえないだろうし、差別しようがないじゃない?
――そこは同じです。ただ、例えばテニスサークルに入りたいと思っても、東大の女子学生はほとんどのサークルに入れてもらえないそうです。
赤松 そんなバカな。私の頃なんか全然そんなことなかった。ゼミでも入りたいって言ったらどこでも入れてもらえた。私が東大にいた時は、女だから損したことはほとんどない。得した事はいっぱいあったけど。ごっつあんでしたよ(笑)。
――なるほど(笑)。赤松さんの時代には親切だった男性たちが、時代とともに……。
赤松 女性がライバルになってきたからじゃない? その頃は800人中4人しかいない女の子なんて、ライバルではない。4人ばかりで大変だね、頑張っちゃってかわいそうに、と思われていた。
――今は東大の学部生の2割弱が女性です。赤松さんの頃よりは増えて、ライバル視されるようになってきたということでしょうか。
赤松 そうだと思う。2割になるとライバルだわね。3割になったらもっとよ。今どきの職場だと3割くらいにはなるだろうからね。
――仕事の上でも、かつての赤松さんと同じように、男性とは違う道を歩まざるを得ない差別が東大の女性に限らず残っています。個人の努力では乗り越えられないものとして徒労感を抱いたという東大卒の女性もいました。
赤松 努力して乗り越えられないことはないでしょう。制度は個人の努力ではなかなか変えられないけれども、今は制度がちゃんとしているじゃない。
――取材していて感じるのは、制度は変わっても、特に男性の意識が変わっていないんじゃないかということです。例えば学問の世界で生きていこうとした東大の女性がいましたが、女性ということで足を引っ張られたり教授から抱きつかれるなどのセクシャルハラスメントを受けたりしたそうです。これは周囲の意識が変わらないから起こったのかなと。
赤松 女性はマイノリティだもんね。そういう苦労はまだあるでしょうね。
個人でどう闘えばいいのか?
――個人としてそういう状況でどう闘えばいいのでしょう。
赤松 研究者や学者の場合は、良い研究をして論文を出すという方法がはっきりしているし、特に理科系だったら、日本国内で色々言われても、外国へ行って国際的に認められればいい。
――もう日本にとどまる必要もないと。
赤松 そう、学者や研究者は、自分の努力や業績で勝負できるから。人に雇われる場合は上に立つ人に左右されるけれど、それこそ(男女)雇用機会均等法があるのだから、法律に照らしておかしいことはおかしいと言えるでしょう。あの法律の前と後とでは大違いですよ。法律がなければ、うちの会社は女だけ30歳定年だとか言われても個別に裁判するしかない。けれど、今だったら法律上そういうことはできないはずだと上司に言える。よく法律を勉強して、自分の権利が害されているときはそれを使って闘えばいいんですよ。泣き寝入りすることはない。
――私が新聞社の記者をしていた時に、東大法学部卒の女性の後輩がいたんです。
赤松 できはよかった?
――よかったんですが、主婦になりました。
赤松 やめちゃったの?
――はい。結婚相手も東大卒で彼の赴任先へ付いていきました。ただ、当時の職場も良くなくて。彼女が自分のノートに「仕事もしたい、でも子どもも欲しい」と書いていたのをたまたま男性の上司や先輩が見て、笑いものにしたんです。彼女も笑っていたけれど、内心傷ついていたのかなと。仕事も家庭も、と女性が願うのは、男性に笑われてしまうような話なのかと。
赤松 そういうのはまだあるね。その人に相談相手があればよかったけど、自分一人で思い悩むと、なんとなく行き詰まりというか、壁を感じて、もうダメだと思ってしまう。
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