国語辞典編纂者の飯間浩明さんが“日本語のフシギ”を解き明かしていくコラムです。
【せ】「迫る」のは前か後か 視点により変わる言い方
JR東日本と東京メトロが7月下旬に貼り出した広告の文言が、ネット上で取り沙汰されました。〈いよいよ1年前に迫った東京2020オリンピック・パラリンピック〉というのですが、これは変だ、「1年後に迫った」ではないかというのです。まあ、そうかもしれません。
いたって些細な表現の問題ですが、こんなことでも大ごとになるのがネット社会です。私もネットニュースの記者からコメントを求められました。
しばらくして、記事が出ました。私のコメントは、意図と正反対の部分もあるなど不満足なものでした。「速報性のため」を理由に、コメントの文章を確認する機会が得られなかったからです。今後は、コメントが確認できない取材は受けるべきでないと思いました。
それはともかく、「1年前に迫った」という言い方は、あまり目にしないのは事実です。手元の文章の例を調べると、「6日後に迫った首脳会談」「2か月後に迫った結婚」など、「〜後に迫った」という例がほとんどです。
一方、「1年前に迫った」と言いたくなる気持ちも分かります。「目前に迫る」「眼前に迫る」、あるいは、サッカーでは「相手のゴール前に迫る」のような言い方もあります。広告のコピーライターの念頭には、これらのフレーズがあったのかもしれません。
「1年後に迫った」は、自分たちから見て、五輪が1年後の時点まで迫った、ということです。一方、「1年前に迫った」というコピーは、「五輪から見て、自分たちが1年前の時点まで迫った」という感覚なのでしょう。視点が違っているのです。ただ、ことばは基本的に自分側から述べるものなので、「1年後に迫った」が一般的には自然でしょう。
やや話は逸れますが、時間の前後を表すことばは、時として意味が反対になります。江戸川乱歩「夢遊病者の死」に〈彼の母親は3年あとになくなり〉という部分があります。これは今で言う「3年前に亡くなり」のことです。あるいは、「先の大戦」は以前のことだし、「先の予定」は今後のことです。衣服と違って、時間は前と後が目に見えるわけではないので、混乱が起こるのです。
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source : 文藝春秋 2019年10月号