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校則が厳しいのに「生徒の自主性を重んじる校風」と書いてしまう素敵な状況について

みんな、口では「子どもの教育は大事だよ」と言うのです

2019/07/04

 ブラック企業の求人で「当社はアットホームな職場です」と書かれているというジョークがありますが、ブラック思考に染まった組織というのは、トップも社員も「俺たちはブラックなんだ」ってことにすら気づかないものなんですよ。世の中には信じられないほどの理不尽ってのが横行するのは何故なんですかね。

ブラック企業より酷いことになっている

 最近いじめや不登校の生徒を出してしまっている学校が、いじめを減らそうとさらに校則を厳しくして生徒を締め付けた結果、かえっていじめが陰湿化して収拾がつかなくなったそうで、ICT教育の話の裏側で相当話題になっていました。ソサエティ5.0とか偉そうなことを教育行政で語る割に、足元ではとんでもない教育の現場が存在しているのは、ブラック企業より酷いことになっている証左じゃないかと思うのです。

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 個人的に、学校に合わない子どもが不登校になることは、その子ども本人にとって恥でも何でもないと思うんですよ。もしも、私の子どもが学校で友達と合わない、先生と距離があると言い始めたら、まずは休んで様子を見ようかという声がけをすると思います。

 でも、学校は毎日きちんと通うもの、嫌でも給食は全部食べるもの、楽しく遊べる友達は量産するものという「常識」は、子どもによっては大変な負担になるし、むしろ追い詰める原因になると思うんですよね。子どもの歌で「友達100人できるかな」とか歌うのって、物凄く残酷なことだと感じます。いま大人になって働いている読者の皆さんで、呼べば集まれる友達100人いる方、どれだけいらっしゃいます? おられたらその場で奇声を上げてください。

先生は尊敬しなければならないという不思議な強迫観念

 私自身はいじめられることも、いじめることも経験して、いまでは立派な嫌なやつとして世間でおおいに羽ばたいておりますが、学校のクラスで好きなやつもいれば嫌いなやつもいる、好きな先生もいて嫌いな先生もいると受け入れられるようになったのは高校生になってからでした。それまでは、クラス全体で調和を取らなければならない、先生は尊敬しなければならないという不思議な強迫観念が強かったように思います。

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 中学時代、私が暴力事件を起こしてしまい学校で問題にされたときに、詰問する先生に理由を聞かれて「学校が楽しくない」と申し上げて非常に驚いた表情をされたのを思い出します。いまでこそ、クラスメートを殴って良いとは露ほども思いませんが、不愉快なことをしてきた級友に鉄拳制裁をして何が悪いと当時中坊であった私は固く信じておりました。