文春オンライン

高校野球とかいう“緩やかな殺人”をいつまで続けるのか

オールドファンの知っている世界とは別物なんですよ

2019/09/05
note

 もちろん、これはリトルリーグからアマチュア野球まで、指導法が進化し、栄養を取るようになったからというのもあるのですが、フィジカルは相当に進化してきています。野球の統計を専門にしているデータスタジアム社のデータとか見ていると、「化け物」とされた江川卓や「平成の怪物」だったはずの松坂大輔クラスの「10年に1人の逸材」は、フィジカル面だけで言えば最近は毎年4人、5人と輩出されるようになりました。そのころの江川や松坂の凄さを否定する必要はまったくありませんが、いまの高校野球で松坂が出てきてどこまで無双できるのかと言われると悩ましい部分はあります。

観ている側のマインドは昔ながらの根性論のまま

 当然、まだ高校生の身体でそれだけの球速でボールを投げるわけですから、肩やひじにかかる負担は大きく、医師からも「さすがにそろそろマズいだろ」という意見が続出するようになります。

医師として野球を見続ける馬見塚氏の考え 「球数制限」は対症療法、根本治療が必要 - スポーツナビ
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201908090006-spnavi

ADVERTISEMENT

「球数制限」を考える (2)医師たちからの提言 | SPORTS STORY | NHK
https://www.nhk.or.jp/sports-story/detail/20190823_3987.html

あいかわらず甲子園の人気は根強いが…… ©文藝春秋

 そういう学生、アマチュア野球の革新がありつつ、野球を観ている側のマインドは昔ながらの根性論のままです。応援する側は無邪気に「頑張れ」と言っているのかもしれませんが、130km/h台後半のストレートと抜いたカーブぐらいで打者を抑えられていた時期はすでに過ぎ、地方大会でも最速150km/hを出すピッチャーがゴロゴロしている状態だと「地方大会から甲子園決勝まで一人の投手が投げ抜く」なんてことは、そもそも使い捨てのような状態になってしまいます。

 いわゆる「痛くてもいいから投げろ」とか「最後まで投げ抜け」などと指示するのは大人の側のエゴであって、選手が立派に投げ抜いてもそこでの怪我とは一生付き合っていくことになるわけですね。もちろん、責任感のある子どもほど「僕が投げたいです」「頑張ります」と言うでしょう。それを止めてでも休ませたり、別の選手にチャンスを与えられるようなチーム作りをするのが本来の監督の役割であり、マネジメントであるのは間違いないのです。

 球数制限を仕組みとして採用することに高校野球連盟はあまり積極的ではないように見えますが、ここまで議論になるのは古い野球の価値観と新しい野球技術の発展との間で社会の要請が変わってきたことの証左でもあります。

 野球経験者は、野球の練習や試合で怪我したことをなかば勲章のように話すことがありますけれども、そういうメンタリティがアカンのだということをよく知っておくべきだと思います。