悪所のヒヤカシ
吉村平吉は浅草でどのような存在だったのか。そのことに触れる前に、まずは彼が辿った人生を説明しておく必要がある。
飲む・打つ・買うの三拍子が揃った「アスビ人」の父親に、小学生時代から神楽坂の芸者置屋に連れて行かれていた彼は、幼くして遊蕩の味を覚えた。やがて旧制中学3年のとき、近所の1歳上の悪友と立ち寄った浅草の興行街で、初めて見た「昭和の喜劇王」エノケンこと榎本健一のいた劇団「ピエル・ブリヤント」のレビューにすっかり魅せられてしまう。当時のことについて、吉村は雑誌のインタビューで語っている。
〈世の中に、こんな面白いものがあるのかと感激しました。松竹座は三階席、立見まで入れると2000人ぐらい入るんです。それがウィークデーでも、昼間から満員なの〉(『中洲通信』2003年9月号より)
同劇団のレビューを見るため、吉村の浅草通いは始まった。当初は半月に1度か2度だった浅草詣でが、たちまち学校から帰ると毎日のように通い詰めるようになる。やがて、エノケン一座への参加を夢見た吉村は、みずから書いたレビューの台本を持ち込んだことで、劇団への出入りを許可され、中学卒業後に早大専門部政治経済科に通うかたわら、文芸部の見習いとして末席に加わることになったのだった。
この見習い生活について、吉村の自著『吉原酔狂ぐらし』には次のようなくだりがある。
〈文芸部の先輩たちがまたお定まりのアスビ人ばかりで、連日、美人喫茶のハシゴ、ご推薦の店での飲み食い、あるいは吉原、玉の井あたりの悪所のヒヤカシ〉
しかし、そうした楽しい時代はいつまでも続かなかった。42年になると、吉村は陸軍に召集され中国大陸の内蒙古包頭に送られ、その後は中国各地を転戦する。日本に復員したのは45年12月のことだった。
酒と女のなかに身を沈めて
東京に戻った吉村は、エノケン一座へは戻らず、浅草の軽演劇復興を目論んで有島一郎や堺駿二、左卜全らと、46年10月に劇団「空気座」を旗揚げする。
実家が裕福だった吉村は、その資産を当てにされ「空気座」の代表に祭り上げられるが、実家から融通してもらった資金が運営費に追いつかず、わずか1年足らずで劇団経営は破綻、彼は代表を降りた。
〈わたしは自らの能力のなさを棚に上げて、挫折感に打ちひしがれ、サケとオンナにうさをまぎらわす毎日となった。浅草の酒と女のなかに身を沈めた格好となってしまった〉(『吉原酔狂ぐらし』より)
そして50年12月、知り合いを頼って上野駅周辺をショバ(持ち場)とする、ポン引きの仲間に入る。道行く人に声をかけて売春婦を紹介するというのがポン引きの仕事だが、生前の吉村によれば「ポンびき」ではなく「ポンひき」と発音するのだそうだ。さらに上野界隈では「源氏屋」との別称もあったが、52年からショバを新橋に変えたところ、そこではポン引きについて「パイラー」なる呼びかたをしていたという。
この時期、吉村は上野、浅草界隈に住みながら、新橋へ通うという生活を送っていた。ポン引きは一晩で大卒初任給を稼ぐほどの儲けになることもあったが、裏稼業の負い目もあり、その日のうちに酒や女に費やされ消えていった。
作家たちのネタ元に
屈折を抱くポン引き時代の吉村にとって、新たな世界が広がるきっかけとなったのは、人気作家の高見順との出会いである。そしてそれは、吉行淳之介や野坂昭如といった作家たちとの交流に繋がっていく。
講談社の文芸誌編集者として野坂昭如や井上ひさしほか、数多の作家を文壇に送り出した大村彦次郎は、そうした交流が生まれた経緯について、次のように説明する。
「吉村さんが新橋のポン引きをやってたときに、パイラーとしての豊富な材料(小説の素材)があるわけです。高見さんがいろんな材料を集めているときに、その人脈のなかで吉村さんと知り合うことになった。吉行さんは高見さんに師事してますからね。それで高見さんの紹介で吉行さんと吉村さんが顔を合わせた。吉村さんは文学青年的な部分があったから、高見さん、吉行さん、野坂さんという三世代との付き合いが生まれたわけです。吉村さんはこの3人には親しまれていました」
大村に吉村を紹介したのは吉行だった。その結果、62年12月に創刊された『小説現代』で、吉行が『変った種族研究』という連載を始めるにあたり、吉村は担当編集者である大村のネタ元の1人となっている。また、大村は野坂に吉村を紹介。吉村は同誌での野坂の連載『黒眼鏡道中記』のネタ元にもなった。
話をふたたび吉村のポン引き時代に戻そう。
57年4月1日に売春防止法が施行(完全施行は58年4月1日)された直後の4月末、吉村は街頭一斉検挙で同法での逮捕者第1号となった。彼は在宅起訴され、大方の予想に反して懲役4カ月の実刑判決を受けてしまう。その後、最高裁まで争ったが判決は覆らず、59年に群馬県の前橋刑務所に収監され、同年5月に出所した。すでにその前年の3月31日をもって、吉原を始めとした全国の赤線の灯は消えている。こうしたことをきっかけに、吉村はポン引き生活から足を洗い、吉原に住みながら、さまざまな雑誌に風俗体験リポートを書くようになった。かくして、元祖風俗ライターが誕生したのである。
(文中敬称略)
(#2に続く)
出典:文藝春秋2017年3月号・全3回
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