とりあえず閣議決定の“裏ワンチーム”
そういえば最近閣議決定が目立つが、国会で議論すれば済む話である。日刊スポーツの「政界地獄耳」師匠はこう指摘する。
「安倍内閣は異次元の閣議決定を繰り返している。これは歴史の検証に耐えうるレベルのものではないだけでなく、内閣を挙げてすべての閣僚が同意したとんでもない愚行だ」(12月12日)
「レガシーは作るものではなく、国会での答弁で生まれるものだ」(同)
議論を避け、公文書も尊重しない、とりあえず閣議決定の“裏ワンチーム”ここにあり。
「年が明けたら雰囲気は変わる」の既視感
さて「関係者の言葉」は過去をさかのぼっても面白い。
あれ? このときも同じようなこと言ってる、と気づくことがあるからだ。
具体的に並べてみよう。まず国会閉会翌日の記事(「説明責任避けた政権」朝日12月10日)。
政権内には国会での追及をしのいだとして一服感が漂うとし、
《首相に近いベテランは「年が明けたら雰囲気は変わる」。》
つまりクリスマスや年末がくれば国民は「桜を見る会」問題は忘れるだろうと。
本当かなぁと思いつつも、一方でこの表現に既視感があった私は過去記事を調べてみた。すると見つけたのだ。似たような言葉を。それは今から4年前。
「安保法案『成立すれば国民は忘れる』 強行採決の背景は」(朝日新聞デジタル・2015年7月16日)
途中、こんな一文がある。
《首相に近い参院議員の一人は「消費税や年金と違い、国民生活にすぐに直接の影響がない。法案が成立すれば国民は忘れる」と言い切る。》
ああ。ちゃんと説明しなくとも「年が明けたら雰囲気は変わる」と言っちゃうのと同じものがここにある。変わってないなぁ。
実はこの安保法案成立の頃の記事を洗っていくと最近の別の出来事ともリンクするのだ。