認知症を、過剰な笑いにしようとは思いませんでした
――この小説は、認知症の人との日常の心なごませる部分と、次第に症状が進んでいって大変なことも起きる部分と、そのさじ加減が絶妙だと感じたんですが、それは実際中島家の方々の性格も大きかったんですね。
中島 そういうところもあったと思います。それと、私はデビュー作からずっと、人知れず笑いをすごく大切にしてきているんですね。笑いってそんなに高く評価される分野じゃないかもしれませんが、でも大事なことだと思うんです。これを書こうと思った時に、やっぱり認知症とかアルツハイマーというと人は深刻に受け取るだろうし、そういうふうに書くのが正しいというか、軽々しく扱ってはいけない感じはありました。自分も深刻さに引きずられるところはあるだろうけれど、そこは踏みとどまって、可笑しいところがいっぱいあるんだからそこは絶対書こう、というのがあったんですよ。もちろん馬鹿にして笑おうと思っているわけでもないし、過剰な笑いにしようとは思いませんでした。実際問題、大変な部分もあるわけで、そこももっと悲惨なふうに書こうと思えば書けたかもしれません。でもどちらにしても、過剰に何かを盛るような書き方はしないほうがいいだろうなと考えていました。
これからは家族に一人は認知症の人がいるような時代に入っていくわけですし、特別なことではないんですよね。しかも長く続く病気なので、その間に家族が結婚したり離婚したりもあるだろうし、仕事の状況だって変わるだろうし、子供が生まれたら成長して10歳になる。そういう日常の中に介護というものがあるのだから、そのように書きたかったんです。
――そう、長い時間をかけてゆっくり進行していくものなんだなと改めて思いました。だから「ロンググッドバイ」なんだな、と。
中島 このタイトルは単行本にする時につけたものなんですけれど、連作を書き進めながらいろ文献を見ているなかで、アメリカでアルツハイマー型認知症のことを「ロンググッドバイ」と呼ぶと知って。ああ、そうだな、と思うところがありました。それでタイトルにするのはこれかな、と思って。
でも考えてみると、10年ってとっても長い期間ですよね。父とその時間を過ごして思ったのは、10年間って本当にいろんなことができる。いろんな思い出があるんですよ。
もちろん娘としては、元気だった頃の父親に戻ってほしいと思ったこともずいぶんあったし、もっとちゃんと話もできた頃の父親の思い出はすごく大事ですけれど、でもだからといって、最晩年の10年間というのが、質的に低いような思い出であるかというと、そうでもないんです。それこそ旅行でパリに行ってセーヌ川を見て「荒川だ」って言ったこととかもありましたし(笑)。
私の友達のお父さんは会社の社長さんで、施設に入ったあとも家族がお見舞いに行くと「じゃあ、帰る」って言うんですって。「私が帰らないと、みんなが帰れないだろう」って。
――社員のみんなが残業しなくちゃいけなくなるから、ってことですね。
中島 そうそう(笑)。そういうふうに自分の生きてきた長い時間を病気の中でも生きている。その人なりの病気の表れ方があるんですよね。そういう意味で、最後の10年間だけボコッと切り離されて、私の父ではない人のような、頭のおかしい人でしたっていうような感じには、少なくとも私の中ではなりませんでした。
でも、それは幸いだったのかもしれません。感情を司る部分が壊れてしまって、別人のように凶暴になる人の話も聞くので。それがどういうことなのかは、私は専門家ではないので分かりませんが。