この連載も五周年を迎えて少しは認知されたのか、ここにきて旧作邦画を扱うメーカーやレーベルから見本を送っていただけるようになった。
送られてきたパッケージを目にして初めて「これもDVD化されていたのか」と知ることになる作品も多々ある。
今回取り上げる『ふるさと』も、そんな一本だ。
主演は、筆者の大好きな役者・加藤嘉だ。骸骨にそのまま皮膚が張り付いたような面相と異様なまでに黒目の大きい目、そして痩せ細った華奢な身体――その姿は、様々な作品で強烈なアクセントとしての役割を果たしてきた。『砂の器』の終盤の回想シーンで息子とひたすら流浪の旅をする映像が多くの観客の涙を誘ったことに象徴されるように、その詩的とすら言える風貌は、映し出されるだけで観る者の心を何らかの形で揺さぶってくる。時に哀しく、時に不穏に――多様なドラマ性を身にまとっている役者といえる。
本作はそんな加藤嘉が主役として出ずっぱりの状況になるわけだから、こちらのかき立てられる感情も並大抵のものではなくなってくる。
舞台は岐阜県の揖斐(いび)川上流の山村。加藤が演じるのは、もうすぐダムの湖底に沈むことになる村の老農夫・伝三だ。
一人の老人が妻を失い、認知症を患い、少年と触れ合い、そして死んでいく――物語は、それだけでまとめることができる。だが、「沈みゆく山村」「農夫」「伝三という役名」――これだけあれば、本作が名作であることはもう約束されたようなものだといえる。この設定の中に「加藤嘉」が置かれると想像するだけで、観る前から既に切ない感情が去来してきてしまうからだ。
そして、本編での加藤嘉は鑑賞前に芽生えている感動の芽を決して損なうことなく、大きく伸ばしてくれている。
中でも印象的なのは、伝三老人が近所の少年を渓流に連れていき、釣りを教える件(くだり)だ。岩場に座り込み、釣りの極意を伝える加藤嘉。釣りたての魚を川原で焼いて食べさせてあげる加藤嘉。夕陽に照らされる帰り道の加藤嘉のシルエット――。昔ながらの編笠を被り、ビクなどの釣り具を身につけながら、煌(きらめ)く山河の中で少年と渓流釣りに勤しむ加藤嘉の姿は全て画になり、どこか可愛らしさすら覚えた。
だが、だからこそ哀しい。そこに映し出されている村の美しい景色は、間もなく湖底に消えることになる。その事実が、同じく消えゆこうとしている老人の意識と生命の儚さに重なってきて、双方ともに輝けば輝くほど、失われることの残酷さが突き刺さってきて胸がかきむしられるのだ。
連載を続けられたおかげで、素敵な作品に出会えた。