今井が「おわび」を準備
安倍は当初、「共謀罪」法案については楽観的だった。世界でテロが頻発する中、テロ対策の名目で法整備を図れば国民の理解は得られると踏んでいた。ところが、法案審議が始まると法相・金田勝年が、答弁を刻々と翻し、答えに窮して首相や官僚が助け舟を出すという醜態を連日のように晒した。反対のうねりも、日々高まった。
そこで政府・与党が選んだ道は、参院法務委員会での採決を行わず、本会議で中間報告を行って採決に持ち込んでいく「委員会飛ばし」の手法。
今国会での成立を確実なものにしたい首相官邸と、都議選への影響を回避するため1日も早く国会を閉じたい公明党の利害が一致し、それを忖度した参院自民党執行部が考え出したアイデアだったが、国会のルール軽視としか言いようのない荒業だった。
読売ですら見出しで「奇策」と表現。たどたどしい日本語から繰り出す駄じゃれで 有名なタレント・デーブ・スペクターが、採決を前にツイッターで「通常国会は異常国会に」「自民党のやり方こそ凶暴罪」などと政治的なつぶやきを連発すると、リツイート数は一気に伸びた。
徹夜国会の末に同法が成立したのは6月15日、午前7時46分。57年前のこの日、安倍が敬愛する祖父・岸信介が主導する新安保条約に反対するデモに参加していた東大生・樺美智子さんが亡くなった。奇しくも同じ日に、反対派の市民が国会周辺で声を張り上げる中、「共謀罪」法が、孫の手によって成立した。
成立後、金田は記者団の前に立った。「法律が公布されるのはいつか」という事務的な質問を受けると、戸惑ったような表情を浮かべて「間違いのないように答えたいので、後で事務方から…」と言いよどんだ。この段階で公布日が正式に定まっていなかったのは事実だが、今後の段取りについてさえ自らの言葉で説明できない姿は「共謀罪」法案の審議を象徴していた。
通常国会が閉じると首相は記者会見を行うのが慣例だ。今年の閉会日は6月18日の日曜日。そのため実質的閉会日である16日の金曜日に行われると一時はみられたが、先送りされた。
16日の参院予算委の集中審議を見なければ、会見で語るべき内容を決められないと判断したからに他ならない。週明けの19日、会見での安倍は、随所に野党への皮肉も見せたが、いつになく謙虚でしおらしかった。
「この国会では(略)政策とは関係のない議論ばかりに多くの審議時間が割かれてしまいました。国民の皆様に大変申し訳なく感じております。印象操作のような議論に対して、つい、強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、結果として、政策論争以外の話を盛り上げてしまった」
さらに「加計問題」の対応についても「二転三転した形となり、長い時間が掛かることとなりました。こうした対応が、国民の皆様の政府への不信を招いたことは、率直に認めなければなりません。信なくば立たずであります」と反省を口にした。当初、文書を「怪文書」と切り捨てた官房長官・菅義偉は、首相からわずか数メートルのところに控え、会見を見守った。心中穏やかでなかったのは想像に難くない。
注目すべきは、こうした安倍の発言が、記者の質問に答えたものではなかったことだ。冒頭発言、つまり事前に準備されていた草案通りだったのだ。
実は官邸内では、6月上旬から「反省会見」の戦略が練られ始めていた。安倍の懐刀で、会見などの草案作りも取り仕切る首相秘書官・今井尚哉は「国会論争が足りなかった責任の一端は私にもある」という趣旨の「おわび」草稿を準備した。ただ、勝ち気の安倍が「おわび」を口にするかどうかは当日まで定まらなかった。安倍最側近の1人、官房副長官・萩生田光一も、獣医学部を「18年4月」と区切って開学を求めたと取れる文書の存在が明るみに出て、疑惑の渦中にいたが、自身は「心当たりのない発言」「極めて遺憾」などと猛反発していた。
決定打となったのは会見当日、19日の朝刊だった。各紙が週末に行った世論調査結果をもとに、安倍内閣の支持率が急落したことを一面で報じていた。軒並み10ポイント程度落ち、危険水域と言われる30%台に突入した調査もあった。このままいけば、支持が底割れし、さらに窮地に陥る可能性もある。今は頭を垂れるしかない――安倍も菅も萩生田も不本意ではあったが、今井案以外に妙案は浮かばなかった。結局、安倍の発言内容は、会見の2時間前まで推敲が続けられた。