ひきこもりのつらさや苦しさに性差はないはずだが、それでも我慢してしまう男性たち。どのような困窮状態になっても、生活保護を「恥」と捉えてしまい、頑として申請しない生活困窮者と通底するところがあるのかもしれない。
筆者自身も古いジェンダー観に支配され、性差の構造的問題に疎かったと反省している。
「働かなくてはならない」という圧力
ひきこもり当事者たちは、自分たちを「ひきこもり」とはあまり言わないという。自分を指すときにもっとも多いのは、「今、働いていないだけ」という言い回しである。そして、前段には「いつか働くけど」という言葉がつくことが多い。つまり、〈今、自分はひきこもりではないし、働こうと思えばいつでも働ける。ただし、今は働いていません〉という心情なのかもしれない。
これに対して、現代の若い世代のひきこもり当事者は、「働かなくてはならない」という社会的圧力に晒され、自身も強迫観念のようにそう思っている人がいる。
林氏らが出会った当事者の中には「正社員になるか? なれなければ死ぬか?」と考えていた女性までいたそうだ。アルバイトや非正規ではもちろんダメで、「ちゃんと働いて、ちゃんと恋愛をして、ちゃんと結婚しなければ、私はダメな人間だ」とさえ思い詰めていた。彼女の場合、高学歴で一流企業に勤めなければならないという考えではなく、「きちんとした人間になって、社会の役に立たなければならない」と頑なに考えていたのだ。
親子関係の改善こそ、問題解決のキーポイントか
何が彼女をそこまで追い詰めているのか――。
「社会の空気ということもあるのでしょう。『非正規雇用になってしまったら、大変なことになる』と思っている」
かつて1980年代後半、日本では「フリーター」が新しく自由な働き方として礼賛されていたが、現代の若い世代は、非正規に対するポジティブなイメージはあまり持っていない。つまり、現代のひきこもり女性は、「よき娘」「よき妻」「よき母」、そして「よき社会人」でなければならないと考えており、この4つを完璧にこなさなくてはならない、と感じている。
何より、母親との問題を抱えているケースが非常に多く、まず「よき娘」でなければならないと苦しんでいた当事者は、その後、「よき社会人」「よき妻」「よき母」とレベルの高いことをいくつも要求されることになる。そして、これらの困難な要求に応えられない自分をダメな人間と考えて責めてしまう。これほど高い要求など、こなせなくて当たり前と思うのだが、女性当事者たちは深刻に捉えている。
「もちろん、父親との関係がよくない女性当事者もいるし、男性当事者でも母親との関係がよくないという人はいますが、私たちが活動の中で出会った女性当事者には、母親との関係がよくない場合が多いですね。
男性にも女性にも共通するのは、親子関係に問題を抱えている点です。親との関係が良好なひきこもりのケースを、私はあまり聞いたことがありません」
林氏はこう締め括った。