週明け、月曜の読売新聞一面トップ。
「検察庁法案 見送り検討 今国会 世論反発に配慮」(5月18日)
政権情報に強い読売が書いた。
しかし記事の読みどころはここだろう。
《ただ、次期国会で世論の反発が収まっているかどうかは見通せず、「今国会で一気に処理した方が傷が浅い」(閣僚経験者)との声もある。首相はこうした情勢を見極めてから、最終決断する見通しだ。》
見出しは世論の反発に「配慮」とあるが、基本姿勢は変わっていないことがわかる。
芸能人に対する「本当に理解して抗議しているのか」
そして一面トップ記事中にも「ツイッター上で著名人らの抗議が拡大したほか」とあった。
それほど今回の「#検察庁法改正案に抗議します」は影響があったということだ。
しかし私がどうしても違和感があるのは、声をあげた芸能人に対する「本当に理解して抗議しているのか」などの批判である。
きゃりーぱみゅぱみゅさんに対して「歌手やってて、知らないかもしれないけど」というのもあった。こういう発想がとても不思議。
人にはそれぞれの本分がある。
魚屋さんには魚屋さんの、八百屋さんには八百屋さんの、営業マンには営業マンの本分がある。
皆忙しいから、自分たちの代わりに国会で議論をして大事なことを決めてくれる人を選ぶ。衆院議員は「代議士」とも呼ばれる。
もし代議士がいなければ政治のすべて大事なことを直接全員で話し合って決めるしかない。すべてのことを、だ。
どの法案も完璧に理解し、論議できる知識を持って臨むしかない。膨大な時間がかかる。しかし皆そこまで時間はさけない。本業があるからだ。なので国会で代わりにプロフェッショナルな議論をしてくれる人を選ぶ。そのあと我々は仕事をしながら、見守りながら、自分でも考える。
抗議の声は「もっときちんと議論してよ」
しかし、もし選んだ人がきちんと議論をしなかったら?
注意するしかないだろう。この制度が機能しているから本業に精を出せたのに! と。
つまり、今回の「#検察庁法改正案に抗議します」とはイコール、「もっときちんと議論してよ」という意味でもあるのだ。