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「空からヤクザが降ってきました!」

 このマンションには管理人が24時間常駐している。その夜の当番は、わずかに残った頭髪を左から右に流している、小太りで気さくな顔なじみ——通称・すだれ髪だ。

 すだれ髪のおっさんは、机に肘をつき、腕で頭を支えながらテレビを観ていた。ノックして合図を送り、ガラス窓を開けてもらって会話をするのが面倒なので、鍵のかかった管理人室のドアをぶっ叩いた。

「なんですか!」

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 怒りながらも、すだれ髪はあっさり部屋から出てきた。

「空からヤクザが降ってきました!」

「な、なにぃ?」

「柵に刺さって、まだ生きてます!」

「救急車か、それとも警察かな……」

「どっちももう呼んでます! とにかく部屋に! 早く!」

 すだれ髪とともに623号室に戻ると、あちこちのバルコニーや窓から人がのぞいていた。そのいくつかからフラッシュの閃光がみえたが、写真を撮る気はもうなかった。普段なら入れない現場に私はいる。ここが自分の部屋である以上、出て行けとは言われないだろう。じっくり様子を観察すればいい。こんなチャンスはめったにない。

©︎iStock.com

手際のいい救急隊員と無駄の多い警察

 すだれ髪と入れ替わりにやってきたのは救急隊員たちだった。

 救急隊は最初、男が刺さっている5階からの救助を試みたが断念し、私の部屋にやってきた。ドアを開けると先頭の隊長格らしい人が、絨毯の上を土足で歩くことに躊躇し、部下になにか敷くものを持って来るよう指示した。

「汚れてもかまいません。早く救助してください」

 と答えると、「わかりました」と即断し、数名の隊員が部屋に入ってきた。そのあとに続き、おそるおそる様子をうかがった。目の前には、相変わらずスプラッターな光景がある。そして幸い、男の息もまだあった。

「大丈夫だ! しっかりしろ! 一緒に病院に行こうな!」

 懸命に男を励ましながら、俊敏な動作で仕事を続ける救急隊員たちは、私の部屋から縄で体を釣り上げ、鉄柵から引き抜き、ストレッチャーで運ぶ作戦を立案した。

「この部屋を使ってかまいませんか?」

「もちろんです!」

“空から降ってきた男”を釣り上げる捜査員

 手早く、しかし慎重に救助作戦は実行された。

 手際のいい救急隊員とは対照的に、警察の対応には無駄が多かった。救急隊の到着からおよそ10分後、最初の捜査員が訪れ、あれこれ質問されたが、その後、所轄等、他の部署からも続々と捜査員がやってきて、鈍い、同じような質問を繰り返すのだ。

「あなたはこの机に座って仕事をしていた。大きな音がしたので表に出て男を見つけた……ですね?」

「さっき別の人に言いましたけど……」

「警察にもいろいろ事情がありまして……」

 その上、彼らは救急隊員とは違い、当然のように土足で部屋に入ってきた。何人もの救急隊員が出入りし汚れていたとはいえ、玄関先には私の靴やサンダルがある。土足厳禁なのは一目瞭然だろう。

 細かい違和感を遥かに超越していたのが、現場の写真撮影を担当した女性捜査員である。彼女は遺留品の携帯電話がすぐ足下にあり、大音量で鳴っているにもかかわらず、それにまったく気付かないのだ。階下の警察官や救急隊員と話をしているから、耳が不自由なわけではなさそうだった。しかしそう思わないとこの状況を納得できない。