文春オンライン

2020/06/08

 当時、庭でアヒルも飼っていました。店の人に「成鳥になったら羽根が白くなる」と言われて茶色いヒナを買ってきたのに、成長してもそのまま。アヒルじゃなくてカモだったのかも(笑)。

 アヒルの世話は大変だったけど面白かったですね。八百屋さんからクズ野菜をもらってきて、包丁で細かく切って、糠と混ぜて餌にするんです。アヒル小屋の掃除も張り切ってやっていました。アヒルを見た香港の留学生たちは「食べないのに飼ってるの?」と不思議がっていました。

 家には小3のとき私が拾ってきたネコのミケもいたんですが、ネコよりアヒルのほうが強くて威張っていました。ミケは長寿で23歳まで生きたんですよ。ミケの死後、植木屋さんが保護ネコをくれて、父がケミと名付けました。ケミは今も元気です。

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 ペットの名前をひっくり返して次の代に引き継ぐのは父方の祖母のミホからの伝統です。ミホはインコに「クマ」、犬に「マク」という名前をつけていました。

世田谷の実家の間取り図 ©︎市川興一

中学になると書きたいことが出てきて日記をつけるように

 中学の頃、母の弟である叔父さんの元奥さんが亡くなって、ヘコんだ叔父さんが家に居候していたこともありました。この叔父さんは、南原四郎というペンネームで「月光」「牧歌メロン」などのカルト系雑誌の編集長をしていました。叔父さんの雑誌で、私は「サブカル」を知りました。

 中学時代の夏休みは、イギリスの学生寮に留学していました。英会話はあまり上達しなかったけれど、外国人の男の子はみんなカッコいいし、着飾ってディスコに行ったりして、すごく楽しかったです。

 同居していた祖父が、階段の上り下りがつらくなり、私の中2階の部屋と2階の祖父の部屋を交換したのも中学時代でした。部屋が広くなり、中野ブロードウェイで『トレインスポッティング』や『パルプ・フィクション』のポスターを買ってきて、砂壁に貼って悦に入ってましたね。

 祖父は中2階の部屋で寝たきりになってしまい、私が高2のときに亡くなりました。おしゃれな祖父で、家でもループタイをして髪にポマードをつけているような人でした。

 
新刊『スーベニア』(文藝春秋)にサインするしまおさん

 人生初のデートは中2のとき。クラスの男子に紹介されて初対面の他校の男子と新宿武蔵野館へ『紅の豚』を見に行きました。でも早々に帰りたくなってしまい、「デートって、好きな者同士で行かないとつまらないんだ」と中2にして知りました。このデートのことを卒業文集に書いたんですが、「恥ずかしいことをあえて書く」という行為が思いの外、筆が乗って面白く書けたんです。それまで作文が苦手だったし、国語の成績も悪かったんですけどね。

 小学生のときから父に「日記をつけなさい。あとで絶対何かになるから」と言われていたんですが、全然書いていませんでした。でも、中学になると書きたいことが出てきて日記をつけるようになりました。大好きだった米米CLUBへの思いや、学校であった出来事を吐露する場所が欲しかったんです。今も日記は全部残してあります。

 中学の卒業式の1週間前に、父同伴で病院に行ってピアスの穴を開けました。ピアスが見つかった瞬間、体育の先生に「なんで卒業まで待てなかったんだ!」と怒られたんですが、側にいた英語の先生が「1週間前というのに意味があったんだよね」と言ってくれたんです。学校へのちょっとした反抗心で卒業前にピアスを開けたことを理解してもらえて、すごく嬉しかった。4年ほど前にこの話をエッセイにして新聞に書いたら、その英語の先生から連絡をいただき、ご飯をおごってもらいました。