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 のちに気づいたことだが、私には「男にとって価値のある女でなければ、男からも女からも認められないのではないか」という強い不安があった。そのような評価とは遠いところで生きてきたからこそ、大人になるなら“価値ある女”にならなければと思った。父のように稼ぎたいという気持ちと、母や姉のように“みんなが羨む女”にならねばという気持ちをどちらも満たしてくれる唯一の職業が、アナウンサーだったのだ。

 同様の発想は、いまだにアナウンサーを志す女性の間で顕著である。それは女が愚かだからではなく、日本社会で女性の置かれた立場や女性に対する評価が、この30年で何ら変わっていないことの証左であると言えよう。

 生産性が低く経済成長が見込めないにもかかわらず、日本ではいまだに長時間働く男性が家族を養うことを前提にした制度のもと、職場でも地域でも男性が意思決定を行い、女性に対するルッキズム、エイジズム、セクシズムが蔓延している。中でもマスメディア企業はグローバルな競争にさらされることもなく、それらの価値観が濃縮された企業風土をいまだに維持したまま、情報発信を続けている。その結果、コンテンツ消費としても就職先としても“女子アナ人気”は衰えないというわけだ。

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退社の日にわかった、“女子アナ”の私に支払われていたもの

 実は局アナをしていた頃から私はこの“女子アナ”なる言葉に強い抵抗を覚えており、その正体をずっと考え続けてきた。アナウンサーとして働く女性たちにどのような眼差しが向けられ、“女子アナ”たちの何が商品として消費されているのか、つまりは自分は何の対価として給料をもらっているのかを自問し続けた。その答えは退社の日に、懇意にしていた男性役員から発せられた言葉によって明らかになった。

 彼は「これからは小島に出演料を払わなきゃならないのか? 俺にはできない。女性に値段をつけることなんてできないよ」と言ったのだ。あたかもフェミニストであるかのような口ぶりだった。なるほど15年間の私の高い給料は、実績でも能力でもなく、ただ女性であることに対して支払われていたということか。

 社員アナは、番組の制作費から予算を割かなくて済む“タダで使えるみんなの女”。それが独立して出演料を取るようになるのは商売女になるということで、自分はそんな金は払えない、という理屈である。俺の女なら飼ってやるが、店に出るなら知らねえよという何重もの女性差別の本音を我知らず漏らしたこの役員は、別に特殊な人物ではない。

 差別どころか女性を優遇しているつもりでこのような発言をする人は男性にも女性にもいる。しかしこれほどまでに“女子アナ”なるものの本質を表した台詞はないので、ぜひ石に刻んで放送局の玄関に立てておいてほしいものである。

(後編「エリートなのに物知らずで可愛い……30年以上続く“女子アナ”人気に見る、日本人の歪んだ願望」を読む)

足をどかしてくれませんか。——メディアは女たちの声を届けているか

林 香里 ,小島 慶子 ,山本 恵子 ,白河 桃子 ,治部 れんげ ,浜田 敬子 ,竹下 郁子 ,李 美淑 ,田中 東子 ,林 香里

亜紀書房

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