だが、その僅か1年後の昭和41(’66)年、桑田さんは「少年マガジン」の講談社に返り咲く。掲載は同社の「月刊ぼくら」。それも『月光仮面』で知られる川内康範原作の『黄色い手袋X』のコミカライズで、だ。普通なら講談社も康範先生も「俺の顔に泥を塗りやがって!」というところだろうが、この温情にもびっくりする。これも桑田さんのお人柄と才能によるものだろうが、同時に“昭和の人の心の優しさ”も痛感させられる。
さらにその1年後には因縁の「少年マガジン」誌上に『ウルトラセブン』のコミカライズで完全復帰した。以降、桑田さんは先の『豹マン』等のコミカライズや、平井和正原作で『デスハンター』(’69年)などの新作をコンスタントに発表していく。いずれも『8マン』的、“影を背負った主人公”の孤独な戦いを描いていた。『巨人の星』(’66年)の梶原一騎とも組んだり、様々な原作者とのコラボも厭わなかった桑田さんだが、やはり平井先生との相性が一番よかった気がする。『電人Xマン』は、桑田さんのオリジナルだが、デザインも含めてどこか『8マン』的だ。桑田さんの中に平井先生っぽさが残っていたのかもしれないし、それが桑田作品の“色”にもなっていた。
そんな桑田さんは、昭和52(’77)年、少年漫画界からの引退を宣言。以降は、仏教や精神世界の漫画や作品、エッセイ等を積極的に描いていく。仕事に生きる漢(おとこ)の生き様を描き切り、出し切った桑田さんが、次なる次元へ段階を踏んだと見るのが妥当だろうか。
13年ぶりに描いた『ウルトラセブン』の仕上がりは
平成10(’98)年、筆者は桑田さんにウルトラセブンの描き下ろしカラーイラストを依頼する好機を得た。『ウルトラセブン』がビデオ・オリジナル作品、平成『ウルトラセブン』シリーズとして復活することになり、その解説書を任された筆者は、ぜひ!桑田さんにセブンを描いてもらおうと、ご自宅に電話をかけ、直談判した。
最初は「いや、セブンなんてもう30年近く描いてないから、全然描けないよ」と仰っていたが、桑田版『セブン』のどこに自分が感動したかを語っている内に桑田さんの方から折れ、「じゃあわかりましたから、資料を送ってください」と、ようやくお引き受けいただいた。実際には昭和56(’81年)にSF特撮雑誌の「季刊宇宙船」(朝日ソノラマ/現・朝日新聞出版)で、13年ぶりにセブンのイラストを描かれているのだが、そのことはすっかり忘れられていた。