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スーパーマリオのビジュアルにおける決定的な選択とは?――川村元気×宮本茂『理系。』対談

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作ることと、目立つことのバランスをどう考えますか?

川村 任天堂は糸井重里さんの企画で『MOTHER』(※1989年に発売されたロールプレイングゲーム)を作ったり、新しいゲームを作ってきた印象もあります。

宮本 糸井さんのときは、僕はプロデューサーとしてサポートに徹しました。彼が「一緒にブレインストーミングしようよ」みたいなときは参加しても、引っ張っていく役にはならないようにしました。あの時期に「プロデューサーといっても、いろいろな役割があるんだな」ということを経験できたのはよかったと思います。もうちょっと若いときにやっていたら、糸井さんとやるってことに舞い上がって、マスコミにも転がっていたと思うので。

川村 確かに宮本さんは世界トップのゲームクリエイターなのに、極端にメディアへの露出が少ないですね。

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©iStock.com

宮本 売るときに出ていくのはいいんですけど、作ることが自分の名前ありきになってしまうと、何か追われるみたいに作るようになってしまうんじゃないですかね。

川村 「宮本さんが作ったゲームだから買った」じゃなくて、「遊んできたゲームを作った人を調べてみたら、全部宮本さんだった」みたいな仕事のあり方は、僕も一番理想とするところです。

宮本 「スーパーマリオの人が」って書かれるのが、いやなんですよね(苦笑)。

川村 いいものを作ることと目立つことは違うものであって、宮本さんは自分より作品が前に出ていった方が得だってことにもトライされているんだなと思います。あと、お伺いしたかったのは、宮本さんでも「世界に向けてやるぞ」と意気揚々と思っていた時期はあるんでしょうか?

宮本 そういう意気込みは昔からまったくないんです。最初の『ドンキーコング』を作るときだけはアメリカで売るのを前提に作っていたのと、僕もすごくアメリカに憧れていた。だけど、実際にアメリカで売れてしまったら、人間の生理的なところを体感できるゲームを作れば、それがユニバーサルだと思うようになりましたね。