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連載刑務官三代 坂本敏夫が向き合った昭和の受刑者たち

2020/11/23

genre : 社会, 働き方

 坂本は、刑務所内の処遇に対する問題すべてに声を上げる。大分刑MA生と名乗る人物は告発とも言えるこんな手紙を送ってきた。

「大分(刑務所)は今の所長になってから、厳しいことばかりが増えています。運動時間中のベンチ利用は同方向を向いて座ること。交談(おしゃべり)はベンチでのみ可。複数集まっての筋トレは禁止。筋トレ中交談したら規律違反で取調べ(調査)、下手すれば懲罰の対象に」

 これに対して坂本はページの中でこんな解説をしている。

「55年前の大分刑務所に逆戻りと思った。昭和41年監獄法令の大改正があり、原則交談禁止というジャパンプリズン特有の『沈黙の刑務所』に終止符がうたれた。また新聞閲覧などの一大処遇改善が行われた」

 当然読むであろう締め上げられている大分刑務所の服役囚に向けて、解放に向けての法的な裏付けを提供しているのだ。「刑務官時代にやりたかったことを今、行っているとも言えます」(坂本)

“囚人934人全員を一時解放”関東大震災の真実

 刑務官を辞して26年経つが、在任中から坂本の信念は一貫している。それは「どんな受刑者も更生を第一に考えて接するべきだ」というものである。

「私は幾度も死刑に立ち会って来ました。そこで多くの受刑者が悔い改めているのを見ました。死刑は廃止すべきです。やるべきは死に追いやることではなく、人間として再生させることです」

©️文藝春秋

 祖父も父も刑務官という家系に育った坂本は、戦前、戦中の刑務所の実情を知る。

「戦後がすべて民主的になったかというと、そうではないのが、矯正施設です。これは所長によって大きく左右されるのです。かつて日本の刑務所には囚人を更生させるということが、大きな目的としてあった。大正時代には実際にそこに命を懸けた典獄(監獄官吏=現在の刑務所長)もいたのです」

 坂本は実在した横浜刑務所の典獄椎名通蔵の資料を30余年かけて渉猟し、子孫を訪ね歩き『典獄と934人のメロス』を著した。椎名は関東大震災(1923年9月1日)発生時に刑務所の建物が大火事の被害に遭うと、生き残った934人すべての囚人を一時解放する。依拠したのは監獄法であるが、リリースされた囚人は24時間以内に帰ってくることが義務付けられていた。果たして934人全員が戻って来た。その理由は椎名との深い絆にあった。椎名は1000人もの囚人の顔と名前を全て覚えて教育の機会を与え、対等な信頼関係を構築していたのだ。