消された「愛人」のナゾ
最初のうちは、新解さんに口答えばかりしていましたが、最近は、「ふーん、新解さんがそう思いたいなら、わたしはそれでもいいよ」と、思うことも多くなりました。
例えば、「凡人 自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。〔家族の幸せや自己の保身を第一に考える庶民の意にも用いられる〕」。
はい、みなさんどうですか。ちょっと周りをきょろきょろしたくなる。凡人、結構じゃないですか。悪い人ではなさそうです。新解さんには、かぞえ方の欄もあるのだけれど、「凡人一人」とは出てこない。
あるいは、「のろける 妻(夫・恋人)との間にあった(つまらない)事を他人にうれしそうに話す。」と、ある。
まず、ここで注意すべきは、新解さんは「他人にうれしそうに話」している側なのか、それとも「(つまらない)事」を聞かされている「他人」なのか、一体どちらなのかはっきりさせる必要があるということだ。のろける人は「これはつまらない事だよ」と自覚しながら話さない。それに、苦しい顔でのろける人も、あまりいない。
だから、このような語釈が生まれる条件としては、(1)ある人が新解さんに対して、のろける。(2)その話はつまらない。(3)新解さんは、その話を聞きつつ、相手の様子を「うれしそうに」と冷静に観察出来る目を持っている。
更に、これも大切なことなのですが、八版では「妻(夫・恋人)」の順になっていますが、初版(昭和47年刊行)から11月18日まで出回っていた七版では、「妻(夫・愛人)」だったのです。
改訂ということは、新しい言葉を加えるだけではなくて、時代と世間の空気を吸い、それを正しく感じて、丁寧に中身を変える、ということだ。
そう、今は愛人の存在が許されない時代なのかもしれません。それとも、新解さんは初版からずっと一緒だった愛人と、お別れしたのかもしれない。とにかく、八版では、愛人との間にあったことは、もうのろけないことになりました。改訂って、大変なことだ。読む方もじっくり読んでいかないと、いけないです。