文春オンライン

3回目の結末を迎えた『エヴァンゲリオン』 今だからこそ描かれた「描きたいもの」と「描かなくてはならないもの」

2021/03/30
note

『新劇場版』シリーズで起こった大きな変化

3月28日、公式Twitterアカウント投稿より

 2007年から始まった『新劇場版』シリーズを見たとき、この「抜群のセンス」で見せるスタイルは大きく変わった印象を受けた。

 それでもまだ、第1作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』、第2作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』はTVシリーズのリビルドという側面も大きく、「見せるスペクタクル」に力が入っても「劇場版らしいスケールアップ」という印象がまず先に立つ程度のものだった。

これが第3作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』になり、『:破』のラストで起きたカタストロフから14年後の世界が舞台となった瞬間から、見たことのない新たなビジュアルが「見せるスペクタクル」として「抜群のセンス」のもとに展開されることになった。『シン・エヴァ』では、それがさらに徹底されている。

ADVERTISEMENT

 例えば、冒頭のパリ上空で展開されるのは、上空からワイヤーで“操演”されている無人戦艦とエヴァ8号機による空中戦だ。“操演”による空中戦という(一部の)観客の映像の記憶を呼び起こす要素はあるものの、記憶のそれとはまったく異なる、新たなアクション映像がそこには作り上げられている。

3月26日、カラー公式Twitterアカウント投稿より

 ここでは「抜群のセンス」が「見せるスペクタクル」の代替品となってはいない。センスとスペクタクルが完全に融合することで、新しくかつ圧倒的なビジュアルイメージが提示されているのである。しかも『シン・エヴァ』のスペクタクルの中心にあるのは、“蕩尽”としかいいようのない大破壊で、画面を埋め尽くす大量の事物が、片っ端から爆発四散していくタイプのものだ。そこにはフィクションにしか許されない官能性の追求がある。

 こうした映像が実現できたのは、3DCG技術の深化と習熟によって支えられている部分も大きいだろう。だが、それよりもさらに重要なのは、この「センス」と「スペクタクル」の融合は、『エヴァンゲリオン』シリーズが、「よりおもしろい」「よりかっこいい」映像を目指す意思(意思とは、ドイツ語で「ヴィレ」である)の産物であることの証になっているという点だと思う(『シン・エヴァ』はヴァーチャルカメラによる実写感覚、あるいは特撮感覚をアニメに導入することが試みられているそうで、今後メイキングなどで詳細が明らかになることを待ちたい)。

『エヴァンゲリオン』3回目のラストシーンへ

 では一方で、黒沢が考えたもうひとつの柱である「感銘させるドラマ」はどうだったのか。ここからはTVシリーズ、『新劇場版』シリーズの重要な部分に触れていきたい。以下は、あくまで筆者の読解である。

『エヴァンゲリオン』というシリーズは、テレビシリーズ、その劇場版である『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』、そして今回の『新劇場版』シリーズと、これまでに3回ラストシーンが描かれている。そして今回の『シン・エヴァ』は、そこに至るまでの過程で、過去2回のラストと関連あるエピソードを経過して、クライマックスへと至るように組み立てられている。

 3つの作品とも、いずれも物語を牽引してきた謎の「人類補完計画」が始まり、その鍵を握る主人公・碇シンジがそこでどのような決断をするかが大きなポイントとして描かれている。