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ボランティア3原則は東京五輪に馴染まない

 そもそもボランティアとはどういう行為なのだろうか。基本に立ち返って考えてみたい。それが東京五輪のボランティアと合致するか見てみよう。

ボランティア3原則

 

(1)自発性……『自主性・主体性』

  ボランティア活動は、誰からも強制されたり、義務として行うものではない。業務命令や半強制的な指導にもとづく援助活動は含まれない。

 

(2)非営利性……『相互性・相対性』

  ボランティア活動は、原則として無償の、非営利的援助活動である。また、その活動は時間や費用を費やすため、ある程度の賃金は必要となる。このため、実費程度の支援を受ける有償ボランティア活動は許容されている。

 

(3)公共性

 ボランティア活動は、社会的に認知された公共的な福利をもたらす活動である。活動の目標やニーズが共観(ママ)可能、社会的に共有可能で、その参加もある程度開かれていることも重要。活動やその運営組織についても、公開性・透明性が必要で、社会に対する説明責任が求められる。

 

(『国際ボランティアの世紀』山田恒夫著、14~17ページ)

 ボランティアについて調べると、これ以外にも先駆性・フロンティア性や創造性があげられるが、多くの場合は先の3つが中核的・基本的要素として紹介されている。

 一目瞭然だが、このうちもっとも東京五輪と乖離しているのが(2)の非営利性だろう。東京五輪はスポンサーからの協賛金とテレビ放映権などで運営される完全な営利目的の商業イベントなのだから、非営利性とはまったく相容れない存在であるからだ。

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©️iStock.com

 同時に、営利目的の場であるのだから、(3)の公共性や公益性の福利をもたらす活動ともまったく方向性が違うものだ。さらに、五輪における業務は主催者(組織委)が一方的に指定し、ボランティアはその遂行のみを求められるのだから、(1)における自主性や主体性とも異なる。あらかじめ決められている業務(観客誘導や荷物検査など)をやるだけであるから、そこには創造性や先駆性もない。また、組織委は自らの収入総額や支出詳細を明かさないから、公開性や透明性がなく、説明責任を果たしていない。これは(3)の公共性もないということだ。

 つまり、組織委が求める「ボランティア」とは「無償労働」という意味だけであって、ボランティアが目標とするものは殆ど存在しないし、合致もしないのだ。本来はアルバイトと呼ばなければならないのに、賃金を払いたくないからボランティアと呼び、誤魔化しているに過ぎない。だがその仕掛けがあまりにも大々的なため、多くの人々が騙されてしまうのだ。しかしボランティアは無償などという決まりは一切ないし、有償ボランティアも存在している。