16位「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」(TBS系・1986~1989)
“難攻不落”のたけし城を陥落させるために、公募で選ばれた約100人の一般参加者が緑山スタジオに建てられた数々の難関を攻略する番組。竜神池(池の上の飛び石を使って向こう岸に渡る)、ジブラルタル海峡(吊り橋渡り)など、セットの総工費は1億円とも。見事たけし城を攻略できれば、100万円を手にできるのですが、実際に獲得できた人はほんのわずかでした。世界150カ国以上に輸出され、現地オリジナル版が作られた国もあります。
「大人になったら絶対出たかった。復活してほしい」(48・女性)
「挑戦者が最後の水鉄砲戦を制して『たけし城』を陥落させたときは、自分のことのように達成感を覚えた」(46・女性)
「谷隼人が二枚目で若くて色んな番組に出ていた時代、攻める方が不利なのだがついつい見てしまった。亡くなったスポーツ万能の祖父は一度挑戦してみたいと語っていた」(48・男性)
「これを観ながら、笑い転げる父を見ているのが好きだった。昭和の時代の古き良き思い出。本気でふざけている感じが、たまらなく良かった」(38・女性)
「夢があった80年代。今じゃあれだけのスケールのある番組はなかなか難しい」(47・男性)
15位「とんねるずのみなさんのおかげです」(フジテレビ系・1988~2018)
とんねるずの代表的な番組がランクインしました。デビュー間もない宮沢りえがゲスト出演した学園ドラマのコントのほか、木梨憲武扮する「仮面ノリダー」のコントも子供に絶大な人気でした。1997年に番組名が「~でした」に変更され、ゲストとのトークを楽しむ「新・食わず嫌い王決定戦」がメインコーナーに。番組の大道具、カメラマンらスタッフと結成した音楽ユニット「野猿」はヒットを飛ばし、1999年のNHK紅白歌合戦にも出場しました。(票数、放送年は「みなさんのおかげでした」含む)
「とんねるず世代なので、始まった当時から終わりまで見てた。ゲストも小泉今日子やチェッカーズなど豪華だった。無茶振りも酷かったけど、本当面白かった」(51・女性)
「小さい時から見ていました。とんねるずにしかできない独特のコントが好きでした」(40・女性)
「とんねるずは時代を作った。あのころのテレビ、お笑いをぶっ壊して行ったと思う」(45・男性)
「最後のザ・バラエティ。芸人がひな壇で喋っているだけで、映像中心で時々コメントをすればいいだけのバラエティが定番となっている今、あのような番組はとんねるずにしか出来なかったのだなと改めて感じる」(20・男性)
「芸能界やテレビの裏側が覗けた」(49・男性)
「マイケル・ジャクソンの物真似や仮面ノリダー、チェッカーズや宮沢りえら旬のタレントとの絡み……とんねるずは芸人でなくスターだった」(56・男性)