TERUが「GLAYを辞めてソロでもやろうかな」と言い出し、TAKUROに「曲書いてくれる?」と持ちかけ、「じゃ、俺ギター弾くよ」とHISASHIが言い、「じゃ、JIROもやれば?」となり、結局GLAYじゃないか! というオチ。なんともほのぼのする。
大昔だが、ある歌番組(多分ミュージックステーション)で、JUDY AND MARYのYUKIが彼らについて「なんであんなに仲がいいんだろう」と語っていた思い出がある。その空気が、メンバーがアラフィフになってもそのまんまというのは本当にスゴイ。
私の勝手な見方ではあるが、GLAYとTHE ALFEEは、一生今のメンバーでキャッキャと音楽をしてくれそうな、圧倒的な安心感がある。
「ジャンルじゃなくて、音楽は音楽なんだよ」
もう一つ、GLAYを聴いて安心するのは「聴く側にこだわりを押し付けない」おおらかさを感じるからである。彼らのバンド名は白(ポップス)でも黒(ロック)でもない音楽という意味が込められているというが、まさに「グレーゾーン」の美しい彩り。何の雑誌だったか、HISASHIが「ジャンルじゃなくて、音楽は音楽なんだよ」と語っていたが、まさにその言葉がぴったりだ。
ギターを中心とした斬新なメロディーでありながら、「歌謡曲」のプレイリストに入っていてもなんら違和感のない不思議なノスタルジーが漂う。
そこに丁寧に並べた「出逢えたことの喜び」と「ときめき(トキメキ)」に満ちた歌詞!「時々あなたを傷つけてしまうけれど」(「100万回のKISS」)など、相手の気持ちを先に考える歌詞もひたすらやさしい。
1997年の「口唇」、1998年「誘惑」は、二人称が「オマエ」でメロディーも攻め!どれだけオラオラしているのかと思いきや、「オマエの手招きに揺れてる」(「口唇」)「オマエが誘うままに oh 溺れてみたい」(「誘惑」)。主導権は彼女にあるのだ。気のいい主人公が浮かび、聴いているこちらが思わず「相談に乗ろうか?」と言いたくなる。
GLAYの歌には「函館」が見える
「HOWEVER」や「COLORS」などは、逆に彼らが手を広げて待機してくれている感じ。
「何か言いたいことある? 全部聞くよ」
と、やさしい眼差しで微笑む人が前にいるような感覚になるのである。
GLAYの歌の「包容力」の源にあるのは、四季と自然の描写である。それも故郷の四季だ。サザンオールスターズに「湘南」が見えるように、GLAYには「函館」が見えるのである。