「好きにさせてほしい」が通らない理由
眞子さまの発表した文書、眞子さまの対処のやり方を通して、国民は内親王のあるべき姿、皇室の望ましい在り方や私たち国民にとって皇室とはなんなのか、という日頃はあまり意識しない、こうした課題を、この結婚問題をきっかけに考え直しているような気がします。眞子さまが「結婚は、私たちの好きにさせてほしい」と、仮にそう思っていたとしても、そうはならないでしょう。
そうした展開には決してならないように思います。なぜなら、眞子さまは、内親王という重い立場にあるからです。国民の多くは皇室が好きなのです。皇室に親愛の気持ちを持っています。だから自分の身に引きつけて心配したり憤ったりしています。娘を心配する秋篠宮夫妻の苦悩を見過ごせないと思っています。まるで、自分の家庭で起こったトラブルのように感じているのではないでしょうか。少なくとも私の周囲の人たちの反応はこうしたものです。
お手元にお配りしたのは、19年5月の新聞記事です。少し古いもので恐縮ですが、顔写真入りで皇室の構成メンバーが紹介されています。この記事を見ますと、眞子さまがいかに重要な立ち位置にいるのかがよくわかると思います。現在、皇室は天皇、皇后両陛下や上皇、上皇后さまをはじめ18人で構成されています。秋篠宮家は、天皇家に次ぐ立場だということがわかると思います。眞子さまの父、秋篠宮さまは皇位継承順位第1位。眞子さまの弟で中学3年生の悠仁さまは皇位継承順位第2位です。特に悠仁さまは、天皇陛下や秋篠宮さまの次の世代の中で唯一の男性皇族です。将来の皇室を担うことになる重要な役割があります。
明治から大正、そして昭和、平成、令和と、日本近現代史の中で天皇の位は代々、父から長男へと受け継がれて来ました。しかし、令和の後は、兄から弟へ。さらに弟の長男へ受け継がれる可能性が高いのです。将来、眞子さまは、天皇の娘、あるいは天皇の姉になる可能性が大いにあります。ですから、結婚して一般国民になったとしても、おそらく、眞子さまは注目され続けるでしょう。
秋篠宮さまと私の「個人的な交流」
私は1980年、毎日新聞に入社しました。私が京都支局に勤務していた1990年6月29日、秋篠宮夫妻は結婚しました。この時、秋篠宮さまは24歳、紀子さまは23歳。とても初々しい2人でした。翌91年2月、新婚の2人は京都を訪問。この時、私は、妻と一緒に秋篠宮夫妻と会いました。私も妻も、秋篠宮さまと会うのはこの時が初めてでした。妻は大学を卒業後、学習院大学に勤務し、経済学部の副手になりました。教授たちの秘書として資料整理などの手伝いをしていたようです。特に、川嶋辰彦教授、現在は名誉教授ですが、川嶋教授の手伝いをよくしていたようで、自然と、川嶋一家と親しくなりました。当時まだ高校生だった紀子さまと妻は、顔見知りとなったようです。そんな関係で、私たち夫婦は、紀子さまを通じて秋篠宮さまと知り合うようになりました。以来、今年で丸30年を過ぎましたが、秋篠宮さまと私は、個人的な交流を温めております。