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「人間は“生贄”を選びたがる。それは五輪でも」新直木賞作家・佐藤究が凄惨な暴力描写に込めた思い

『テスカトリポカ』直木賞受賞インタビュー

2021/07/17

――このたびは『テスカトリポカ』の直木賞受賞おめでとうございます。昨日、発表まではどのように過ごされたのですか。

佐藤究(以下、佐藤)担当編集者2人と会議室にいて、だらだらと過ごしていました。受賞の連絡の電話がくる時、僕はいつも一緒にいる人たちに結果が分からないように受け答えをするんです。「はい、はい、そうですか」と言って、切ってから「どっちだと思う?」って。

 山本周五郎賞を受賞した時はうまくいったんですが、今回は電話の向こうの声が漏れていたようで、聞き取られてしまいましたね。

佐藤究さん

――ずいぶん落ち着いてらしたんですね。

佐藤 プレッシャーがかかる場面というのは作品を印刷所に出す直前までなんですよ。そこが作品の完成度が決まる天下の分け目で、その後のアワードに関して僕がワーッとなるようだったら、作品で力を出し尽くしていないということですよ。受賞したからといって作品の中身ががらっと変わるわけでもないし。

 だから、僕の中では候補作同士の優劣が決まったとは思っていないです。書かれたものをどう受け取るかは、読者のみなさんそれぞれですから。

オリンピック、生贄、「鏡」の関係

――『テスカトリポカ』は、古代のアステカの生贄の心臓を捧げる儀式と、現代の臓器売買が重なっていく内容です。その成り立ちは「作家の書き出し」(初出:別冊文藝春秋 電子版37号 (2021年5月号))のインタビューで詳しくおうかがいしましたが、最初、編集者に「映画の『ダークナイト』みたいなクライムノベルを書いてください」と言われたそうですね。ただ、クライムノベルといっても、暴力を描きながら暴力を解除する、無効化する道筋を入れようとした、とお話しされていましたね。

佐藤 それこそ80年代ならシュワルツェネッガーとかスタローンの映画をみんなが単純に楽しんでいましたが、今はもう状況が違いますよね。パンデミックにしてもそうだし、アメリカのトランプとバイデンの選挙で起きたこともあるし、アクションシーンだけで楽しませるフィクションは、社会に対する役割という点ではどうなんだろうと感じます。

 

 エンターテインメントとしてお客様にはジェットコースターに乗った気分で楽しんでもらっていいんですけれど、書くほうはもうちょっと問題意識を持っておかないと、やりがいがないというか、なんのためにやっているんだろうとは思います。

――それは決して、暴力描写を避ける、ということではないですよね。

佐藤 たとえば暴力を戦争レベルまで掘り下げて解除しようとした時、もし暴力描写のない中で語ると、限りなくカルト宗教のメッセージ的なものになる。でもそれでは暴力は解除できないし、実際人間はできていない。で、暴力はどこからきたんだろうと考えた時に、鏡というものが浮かびました。

――「テスカトリポカ」はアステカの言葉で煙を吐く鏡という意味ですし、これまでの作品も鏡が重要なモチーフになっています。

佐藤 ルネ・ジラールは『世の初めから隠されていること』という哲学書で、人間同士が争うのは相手が鏡に映ったような分身だからだ、と言ってる。分身同士はどっちかしか生き残れないから闘わなきゃいけない、と。この分身同士の闘いを、人間はなぜかイベントとしてみなすんですよね。オリンピックもそうです。

 なぜ人間は分身同士を並べて優劣をつけることにしかイベント性を感じられないのか、ということを突き詰めて、今回、生贄というものが出てきました。