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 つまり、たかだかカレーに福神漬けがついていないだけのことが、加害者にとっては「自分がないがしろにされている出来事」となり、「自分は愛されていない証拠」になってしまいます。そして、そのさびしさや不満が怒りになり、DV(=怒り行動)として表にあらわれるのです。

 しかし、被害者にとっては、あまりにも些細なことで相手が怒り出してしまうため、どこに地雷があるのかわからず、つねに相手の顔色をうかがいながらビクビクして過ごすことになります。

写真はイメージです ©iStock.com

「つねに自分が正しい病」の人がふりかざす「べき論」

 「自分は正しい、間違っているのは相手」

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 これは、DVをしてしまう人たちが共通して持っている考え方です。ある加害者はそれを「つねに自分が正しい病」と表現しています。

 加害者にはそういう共通のゆがんだ思考や価値観があり、それが言葉や態度、行為に出るため、DV行為には似たパターンがあります。もっとも顕著なのが「べき論」です。

 これは、「~であるべき」「~するべき」という使い方をする「べき」のことです。「べき論」のもとにある「べき思考」は、生まれ育った環境や親との関係、学校や職場でのさまざまな経験によってどんどん固まっていきます。

 たとえば、「子どものうちはよく遊び、よく学び、よく眠るべき」といった自分なりの信念やポリシー、あるいはこだわりは誰しも持っています。それは自由に持つことのできるものですが、人に押しつけようとするとトラブルが起こります。相手に対して支配的になってしまい、怒りなどの強硬な手段を用いるようになってしまうのです。

 DV加害者の多くは父親が母親を暴力で支配するDV家庭で育っています。そのため、「妻は夫に従うべき」とか「夫婦は同じ価値観を持つべき」というような「夫婦はこうあるべき」という強いこだわりを持っています。