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義父の寝首をかき、娘の嫁ぎ先を攻め滅ぼす…「戦国史上最悪」と呼ばれた武将・宇喜多直家を捉えなおす

著者は語る 『涅槃』(垣根涼介 著)

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『涅槃 上』(垣根涼介 著)朝日新聞出版

「戦国史上最悪」と呼ばれた武将、宇喜多直家。妻の父を酒席に招いて寝首を掻き、娘の嫁ぎ先を攻め滅ぼすなど身内にも冷酷で、主君をも裏切り、権謀術数の限りを尽くす……。

 そんな悪名高かった武将を捉え直し、新しい直家像を描いたのが、垣根涼介さんの『涅槃』だ。

「直家は後世で言われるほど悪いことはしていない。実は現代的な人物で、もっと評価されてしかるべきなのに、どんな人物だったかが知られていません。そこで名誉挽回のため、ひたすら愚直に時系列を追って書いていったら、原稿用紙1800枚の大作となりました。今後、これ以上の長さの長編を書くことはないのではないか、と感じています」

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 備前(現在の岡山県)では名族の一つだった宇喜多家は、能家の代になり、治安を安定させ、商人が商売に精を出せるように努めて矢銭を得て、勃興した。

 ところが、能家から子の興家に家督が移ると、天文3年(1534年)、同じく浦上家に仕える島村盛実に砥石城を襲撃され、能家は討ち死にする。興家とその嫡男の八郎(後の直家)は、備前福岡の豪商である阿部善定のもとに身を寄せた。

「一度滅んだ家の出身で、少年時代を商家と尼寺で過ごした。そんな武将は他にいない。武士としての正規の教育を受けずに育ったことは、後の行動に影響を与えたと思います。生まれも育ちも逆風だらけで、『母をたずねて三千里』のマルコのように悲惨なんです」

 父は居候先である善定の娘を孕ませ、母は出ていき、11歳で父が自殺。その後は継母とともに暮らすなど、肩身の狭い環境で育った。幼い頃は「侍など、つまらぬ」と言い、商人に憧れていたが、宇喜多家を再興するため、実家を滅ぼした浦上家に仕えることに。

 その頃、14歳だった直家は紗代に出会う。かつて遊女だった彼女から、性の奥義や男女の機微を伝授される姿を濃密に描いている。

「ここで確立された男女観が、後の二度の結婚に影響を与えていきます」

 やがて浦上家から独立したが、東に織田家、西には毛利家が迫っていた。

「大勢力ができた後は生き残っていくだけでも才覚がいる。直家は悪条件のなかで自主独立を勝ち取ろうと死にものぐるいだった。いずれ負けるにしても、交渉してできるだけ有利な条件を引き出そうと考えていた。いわば『弱者のタクティクス(戦術)』ですね。また、直家は戦が好きではなかったようで、武将の心意気をあらわすような俳句や短歌も詠んでいない。ただ、商人的な戦略眼は長けていた。武士の風上にも置けないという批判もあるけれど、そもそもが武士になりたくなかっただろうし、自らに折り合いをつけて生きていたんでしょう。そして織田家と毛利家を手玉に取りながら、最終的に57万石の大名になりあがったんです」

垣根涼介さん

 元号が昭和から平成に変わった1989年に社会人となった垣根さん。直家の置かれた状況は、平成以降の日本の姿に重なると言う。

「国内市場が縮小し、大国に挟まれ、大きな繁栄は望めず、何とか妥協点を見出し生き抜いていくしかない」

 涅槃は悟りの境地を意味する仏教用語だが、本書の中で「今生での涅槃など永遠にない。だからこそ、死ぬまで走り続けなければならぬ」と書いている。

「僕ら日本人もそう。社会のセイフティネットが壊れつつある今、誰も今後のことは保証してくれない。生き方のリスクは、絶えずヘッジしておいた方がいい。『負けない戦い』に徹した直家の生き方は現代人にとっても示唆に富んでいます」

かきねりょうすけ/1966年長崎県生まれ。筑波大学卒業。2000年『午前三時のルースター』でデビュー。04年『ワイルド・ソウル』で日本推理作家協会賞など。05年『君たちに明日はない』で山本周五郎賞。他の作品に『光秀の定理』『室町無頼』『信長の原理』など。

涅槃 上

垣根 涼介

朝日新聞出版

2021年9月17日 発売

涅槃 下

垣根 涼介

朝日新聞出版

2021年9月17日 発売

義父の寝首をかき、娘の嫁ぎ先を攻め滅ぼす…「戦国史上最悪」と呼ばれた武将・宇喜多直家を捉えなおす

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