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「私の記憶では、最初は母でした。紐を使ったかもしれない。自分たちを産んでくれた母親に手をかした時、私は悲痛のあまり号泣しました。それは覚えています。最後には石を使ったかもしれない。頭部めがけて。そんなふうにして母を絶命させました。次に兄と私は弟と妹を死へ旅立たせました。地獄絵さながらの阿鼻地獄が展開していったのです(*14)

*14 Cook & Cook『Japan at War』[「以心伝心で~頂点に達しました」「母親に手をかした時~号泣しました」「地獄絵さながら~展開していったのです」は金城重明『「集団自決」を心に刻んで――沖縄キリスト者の絶望からの精神史』高文研より引用]

「アメリカ人よりも日本人のほうが私どもにとって恐ろしい存在になりました」

 残酷な死の嵐がおさまったとき、幸子の両親を含む329人が亡くなっていた。川の水は真っ赤に染まった。日本兵が特攻で自爆していなかったことを知って、生存者たちは大きな衝撃を受けた。特攻艇は出撃せず、隊員たちはまだ生きていた。「ショックだった。[日本軍が]全滅したと思ったから自決を選んだんだから――。その時、[軍との]連帯意識が音を立てるように崩れていった」と金城は回想する(*15)。それを境に、「アメリカ人よりも日本人のほうが私どもにとって恐ろしい存在になりました(*16)

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*15 訳文は『証言 沖縄戦』琉球新報社より引用
*16 Cook & Cook『Japan at War』

 沖縄戦末期に壕から出てきた看護隊の学徒は、目が眩んで何も見えなかった。何週間も昼間に外に出たことがなかったのだ。目が慣れてくると、初めて敵の姿をまじまじと見た。この3か月にわたり自分たちの島を焼きつくしてきたアメリカの男たち。少女にとってこの男たちは悪魔であり、人間とは言えず、「山羊の目(ヒージャーミー)」として知られていた。侵略者は山羊のように夜目がきかないと沖縄人は信じるようになっていたからだ。

 少女たちは覚悟を決めて、次に起こる事態に備えた――強姦され手足を切り落とされて殺される。「死ぬのは怖くない。早く殺して。殺して」と言って、ある少女は米兵の持っている銃を引き寄せ、銃口を自分の胸元に押しあてた(*17)。射殺する代わりに笑うと、米兵は消毒薬で彼女の脚の傷の手当てをしてくれた。水には毒が入っていると思った少女たちがアメリカ人の差し出す水筒を拒絶すると、兵士たちはくすくす笑って、その水筒から水を飲み、安全だとわからせた。その水を少女たちは一口飲んだ。そして徐々に、将来は想像してきたようなものではなさそうだと考えるようになった。

*17 訳文は『ひめゆり平和祈念資料館ガイドブック(展示・証言)』より引用

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 しかし、この後の沖縄は1972年に日本へ復帰するまでの27年間、アメリカに占領・統治され、現在も基地との共生を強いられているのが現実だ。そうした歴史も『アメリカンビレッジの夜』では掘り下げられている。

【前編を読む】「グッグッ」と腐肉を食むウジの音が蠢く洞窟すら天国…第二次大戦下の沖縄で起きていた信じられないほど悲惨な“現実”

アメリカンビレッジの夜――基地の町・沖縄に生きる女たち

アケミ・ジョンソン ,真田由美子

紀伊國屋書店

2021年9月10日 発売