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連載刑務官三代 坂本敏夫が向き合った昭和の受刑者たち

「被告人に法律など学ばれては困る」「冤罪など存在しない」拘置所幹部たちのあり得ない“信念”

刑務官・坂本敏夫の見た、袴田巌という囚人#1

2021/12/12

genre : ニュース, 社会

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 後の鑑定では、衣服に付いた血痕は味噌に1年も漬けられていれば、赤みが消えることが証明され、DNA鑑定でも衣類の血痕と被害者のそれは一致しないという結果が出されている。つまりはパジャマの血液では証拠が弱いと考えた捜査機関によるねつ造が疑われて、後の再審の決定に結び付くわけである。

 しかし、当時の静岡地裁はこの警察からの「新証拠」を認めて死刑判決を下したのだった。

「苦しんでいる被告や死刑囚がいるので診てやって欲しい」

 坂本は言った。

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「人を疑うことの無い真っすぐな袴田さんは5つの衣類が自分の逮捕後に出て来たことで、逆に無実が証明されると思っていたのです。当然でしょう。何も身に覚えが無いし、物証が出て来たのなら、真犯人がこれで警察に捕まるだろうと。

 しかし、そうはならなかった。彼は地裁で裏切られ、高裁でも裏切られた。私と面接で出逢ったのは、最高裁に上告しているときでした。それでも『最高裁だからもっと頭のいい人がいます。僕はこの国の正義の最後の砦である最高裁判所を信じています。何も恐れていません。今、恐れているのは、僕を犯人にでっち上げた警察ですよ』と揺るぎの無い信頼を寄せていました。

 私は書類作成のために処遇についても聞きました。すると冷房が無いためにご自身が酷いあせもに苦しんでいることが分かりました。それについて私から医療の改善を約束したら、『では、私だけに特定せずにあせもで苦しんでいる被告や死刑囚がいるので診てやって欲しいと伝えて下さい』と言うんです。

 袴田さんは無理な要求は絶対にしてこない。本当に困っている人の事をいつも考えている、そんな人物がお世話になった一家4人を殺すとは到底考えられませんでした」

「死刑確定」と「発した言葉」

 しかし、袴田が「最高裁を信頼しています」と坂本に告げた4ヵ月後の1980年11月19日。その日本司法の最高機関は上告を棄却した。これで袴田は死刑確定囚になってしまった。「あれだけ信じていた最高裁にも裏切られた事でどれだけ心を傷つけられたことか、私は棄却の報を聞いて憤怒に駆られました。そしてひとつのことを実行しようと思ったのです」