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元鉄道運転士! 三日月大造・滋賀県知事が語るセノハチ、ノッチ、JR秘話

滋賀県・三日月知事「鉄道インタビュー」#1

2017/12/04
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前原さんに「いいなあ、運転士だったんだろ」と言われた

――知事は民主党政権時代に国土交通大臣政務官や国交副大臣をされていました。そのときの大臣は鉄道ファンで知られる前原誠司さんでしたよね。

三日月 そうです。前原さんからは、そりゃもう羨ましがられましてね(笑)。「いいなあ、運転士だったんだろ」みたいな。

 

――そもそもなんですが、知事は総合職でJR西日本に入られたんですよね。

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三日月 大学を卒業して、1994年、最初に配属されたのが広島支社でした。希望を聞かれるとみんなだいたい関西圏なんです。でも、僕はいずれ本社で仕事をするなら地方、離れたところを経験しておきたいということで広島を希望したんです。そして最初の勤務地、岩国駅で駅員をやってた、95年1月17日、阪神淡路大震災が発生しました。

――それで関西の方に戻られた?

三日月 支援勤務を希望したんです。2月下旬から4月くらいまで約2ヶ月間、新長田駅と神戸駅で勤務しました。仮駅舎には、ご遺骨を納めた箱を抱えた方もいらっしゃったことを、今でも覚えています。その後、運転士にならないかと声がかかり、医学適性でも問題なしということで辞令が出ました。

国鉄末期の組合間対立、強烈だった“ブルトレスト”

 

――運転士でも配属は広島。

三日月 これも僕の希望です。その頃の広島運転所はちょっと特殊な職場だったんです。何かというと、組合です。広島運転所ではJR西日本全体で多数派の組合に所属していた運転士は少数でした。みんな腕も良いんだけど口も立つ、見た目もメチャメチャ怖い運転士さんがいっぱいいたんです。組合が違うと乗り継ぎの時の挨拶もしないこともあり、詰め所でも会話なんてほとんどないような時もありました。

――まさに国鉄末期の組合間対立がそのまま残っているような……。

三日月 僕が入社する数年前にストライキもやってますからね。いわゆる“ブルトレスト”。ブルートレインの乗務員を2名から1名体制にする案に対する、強烈なストライキです。そういうこともあって、難しい職場だというのは本社にも伝わっていた。僕がそんな職場を希望したものだから、最初は断られたんです。でも、人事課長の宿舎まで行って直談判。「僕は広島じゃなければ運転士はやりません」と。それでなんとか希望を叶えてもらったんです。