2022年1月、ジャーナリストの伊藤詩織氏が元TBS記者の山口敬之氏から性暴力を受けたとして損害賠償を求めた裁判の控訴審で、東京高裁は山口氏に対し332万円の賠償命令を下した。一方で、事件後に伊藤氏が公表した内容が名誉毀損などに当たるとして、伊藤氏に55万円の支払いを命じた(現在双方上告中)。
一審に引き続き、高裁でも「同意のない性行為」だったと認定されたが、ここへ至るまでの道は決して容易ではなかった。
性暴力被害者を取り巻く日本の現状に迫った伊藤詩織氏の著書『BlackBox』より一部を抜粋。伊藤氏が初めて実名と顔を公表して、事件についての会見をするまでの経緯とその影響を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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「週刊新潮」の記事(編集部注:伊藤さんが匿名で事件の日のできごとを語った記事)をきっかけに、事件は大きく動いた。しかし、記事の方向性は、必ずしも私が望んでいたものと同じではなかった。確かに山口氏の人脈と逮捕が止められたこととの関連は、この事件の根幹の一つだ。繰り返すが、その一端が明らかになったことには感謝している。
しかし、あくまでも私が伝えたかったのは、被害者が泣き寝入りせざるを得ない法律の問題点や、捜査、そして社会のあり方についてだ。なぜこの話をするのか、それを記事の終わりに入れるという約束のもとに、私は取材に協力したのだ。
私の伝えたかったことがたくさんの人に届いたとは、まだ言えなかった。
「被害者A」ではなく
記事の中で、私は依然として、顔も名前もない「被害女性」だった。私は「被害者」というこの避けようのない言葉がまとわりついてくるのが好きではない。被害者は私の職業でもなければ、私のキャラクターでもない。このことを世の中の人たちに話そうと思った時、私はこの先の一生を「被害者」という名前で生きていかなければならないのか、と絶望的な気持ちになった。
近年、被害者の遺族が実名、写真を公開して事件を語るニュースが報じられた。2015年、過労自殺に追い込まれた電通社員の高橋まつりさん、2016年、いじめにより自殺に追い込まれた中学生の葛西りまさん。
最愛の人を失うという大変つらい経験をした後に、このようなことが二度と起こらないようにメディアの前で話をすると決めた遺族の気持ちは計り知れない。
そこに「被害者のAさん」ではなく、実際に名前と顔がある人間として登場したことが世の中に与えた影響は大きかったであろう。
そして、このご遺族の行動を見て、私も「被害者A」でいてはいけないと、はっきり思ったのだ。