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「そんなキャラ、すぐ飽きられて終わる」「どうせインストラクターになるんでしょ」なかやまきんに君が語る、それでも21年間“筋肉芸”を続けたワケ〈吉本から独立〉

なかやまきんに君さんインタビュー #1

2022/02/18
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きんに君 最初はちょっと筋肉ついたらいいな、ぐらいの気持ちだったので。でも「ベンチプレスやりましょうか」と言ってもらって、やってみたら毎週毎週強くなるんですよ。最初のうちって伸び率がすごいんです。できないものができるようになるという、そこでもうすごく楽しくなって。当時、高校3年生で鍛えてる人なんてまあいないですし。 

――26、27年前ぐらいですか。 

きんに君 そうです、今の時代と違うので。みんなが部活を引退して楽しそうに遊んでたり、受験勉強してたりっていう時に、僕はこんなに強くなってるんだ、みたいな。みんなびっくりするだろうなってワクワクもあって、ハマっていきました。

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 入会して3か月ぐらいしたら、最初に「え……」って思ったボディービルダーのポスターを「これ僕も家に飾れませんかね?」っていうぐらい好きになってましたね。 

NSCの同期は600人……目立つために考えた戦略

――お笑いに進もうと思ったのはいつくらい? 

きんに君 お笑いもその当時から目指そうとは思ってました。筋肉で笑わせるというのは正直考えてなかったんですけど。

 

 僕がNSC(吉本の芸人養成所)に入った時、生徒が600人いたんですよ。僕ら新入生の上にはオーディションを受けるような先輩がいて、さらにその上に劇場にようやく出れるような先輩がいて、もっと上には劇場のレギュラー、FUJIWARAさんとか陣内(智則)さんとか(ケンドー)コバヤシさんとか、そういったメンバーの方がいて。さらに毎年後輩が入ってくるわけです。

 もう果てしない人数がいる中で、「いやこんなんどうやって戦っていくんだ」という壁にみんなぶち当たっていました。だからとにかく目立たないといけないと思って、毎日同じユニフォーム、同じ服装で通うようにしたんです。 

――まずは覚えてもらう。 

きんに君 そうです。毎日タンクトップで行ったら、「筋肉がすごいやつがいる」って同期や先生に覚えてもらえました。先輩のイベントにエキストラで出たら、稽古の時とかみんな集まってきて「こんな筋肉のやつ、どうなってんだ」ってさらに覚えてもらえて。

 それがきっかけで、FUJIWARAさんのイベントに呼んでもらったんですね。そこで「こいつに芸名をつけよう」という大喜利コーナーがあって、原西(孝幸)さんがフリップに「きんに君」って書いて。「これでどうだ」って出したら会場がもう大爆笑で。

 その時は、これから筋肉芸でいくなんてまだ思ってないんですよ。でも、この筋トレというストイックなスポーツと、お笑いのゆるい感じと、両極端があれば何かが起こるかもしれないとは思っていました。 

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