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監督ジダンのチームに選手ジダンがいたとしたら

 ファンタジスタを愛するアンチェロッティと、労働者の献身を評価するジダン。2人の感性の違いはどこから来ているのだろうか。それはやはり、選手時代の原体験にあると考えるのが自然だろう。選手時代のアンチェロッティはハードワークと激しいタックルを信条とするボランチで、まさに「労働者側」のプレースタイルだった。黄金期のミランでは中盤のバランサーとしてオランダトリオらスター選手の黒子に徹した。言わば、ガットゥーゾの役割を担っていたのだ。そんなアンチェロッティからは、常に試合の中心にいて、チームに直接勝利をもたらすスター選手の煌めきは一際まばゆく見えたのではないか。実際に幾多の試合で、彼らスター選手の信じられないようなプレーに助けられてきたはずである。そんなアンチェロッティだからこそ、ファンタジスタの可能性に全幅の信頼を置いたチーム作りが出来るのかもしれない。

低迷していたACミランを復活させたアンチェロッティ(左上) ©JMPA

 反対に、選手時代のジダンはいつもマケレレやダービッツといった労働者たちの存在に助けられてきた。彼らの献身なくしては、そもそも自分のトップ下という特権的ポジションすら成り立たないのだから無理もない。実際のところは、むしろジダンと一緒にプレーした選手たちの方が「ジズーほど頼りになる選手はいなかった」と口々に語っている。だが皮肉なことに世界でジダンだけは、絶対にジダンとプレーすることが叶わない。ジダンは選手として圧倒的に抜きん出た存在だったからこそ、現在のサッカー観に至ったのかもしれない。果たして監督ジダンのチームに選手ジダンがいたとしたら、彼は使いこなせるのだろうか。

型を持たないチームの強み

「選手たちには、ピッチ上で楽しんでほしいと思っている。時として、監督というものは常に話し続け、叫び、いろいろなことを変えなければならない存在だと私たちは思い込んでいるが、実際のところはもっと静かなものなのだ」

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 これはジダンの言葉だが、端的に彼の監督像を表している。ジダンの監督としての仕事は、選手にピッチ上で楽しんでもらうための準備をすること。試合が始まってしまえば、選手個々が自由に判断しプレーすることを良しとする。ある意味、監督としては少しめずらしいタイプかもしれない。

 実際のところ、ジダンのチームからは戦術的な制約や縛りがほとんど見えてこない。それはジダン自身が現役時代、どのようにプレー出来た時に最高の成果を出していたかという経験も関係しているはずだ。一流の選手が揃い、純粋にフットボールをする。チームとして何か一つの方向性を強引に取りに行くわけではないが、その代わりに何も捨てない。