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国鉄盛岡工場があった西側と、“正面”の東側

 せっかく北は盛岡までやってきて駅の中だけを歩いて終わってもしょうがないので、外に出る。駅の西側はかつて国鉄盛岡工場のあった一帯で、その跡地が再開発されて生まれ変わったエリアだ。企業なども多いのだろう、朝の時間帯にやってきたので多くの会社員が盛岡駅から西側を目指してやってくる。

 

 対して東側は盛岡の市街地に続くいわば“正面”だ。盛岡市内の各方面に向かうバス乗り場やタクシープールがあって、その間にはちょっとした広場も設けられている。その広場には、例の“新幹線イヤー”に関するモニュメント。朝ドラ『どんど晴れ』(2007年放送、比嘉愛未がヒロインを演じた作品だ)のロケ地になったということを示すパネル。そして、石川啄木の歌碑がある。

 
 
 
 
 

 石川啄木は、盛岡の出身だ。その縁からか、盛岡駅の正面には啄木の筆による「もりおか」という文字が大きく掲げられている。駅前には歌碑もあるし、盛岡が産んだ最大の偉人といった誇りすら感じられる。

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 そりゃあ、近代日本が誇る歌人なのだから当然だろうとも思うし、啄木が偉大であることに異論はない。

 だが、そもそも盛岡市を含む岩手県はあらゆるジャンルの偉人を世に送り出している。たとえば、それを偉人と評して良いのかどうかはわからないが、岩手県出身の内閣総理大臣は原敬・斎藤実・米内光政・鈴木善幸の4人。これは山口県・東京都に次ぐ多さだ。

 他にも傑物は多く、東京の街づくりの基礎を築いたとされる後藤新平、啄木の親友にして稀代の言語学者・金田一京助、ひと昔前の五千円札でおなじみ新渡戸稲造。

 

 ほかにもいろいろといるが、とにかく岩手県は人材の宝庫なのだ。まあ、こういうものは探してみればどの都道府県にだっているものだから、とりたてて岩手県だけがスゴいということもないのだろうが、なんとなく岩手ってやるじゃん、と思ってしまう。そして、その中でターミナル・盛岡駅の駅前には啄木の歌碑がある。それだけ、啄木は特別な存在なのだろう。

「2本の大きな川に守られた、そんなターミナルが盛岡なのだ」

 啄木の歌碑を背に、盛岡駅から盛岡の中心市街地に向かって少し歩いてみる。盛岡は、江戸時代には南部藩の城下町であった。

 お城はちょうど駅の南東、北上川と中津川、雫石川が合流するあたりにある。もとは不来方という地名で、秀吉によって南部氏が所領を安堵された際に本拠地を九戸から不来方に移し、盛岡と改めて城下町を築いたのがはじまりだ。

 
 

 以来、南部藩の城下町として栄えた盛岡は、奥州藤原氏の時代からおなじみの砂金を目当てに移り住んだ近江商人たちの力も借りて商業都市としても賑わった。そんなお城のもとに広がった町だから、とうぜん古くからの市街地はお城の近くに広がっている。

 そして、お城と駅の間には北上川が流れる。さらに駅の西側には北上川支流の雫石川も流れているから、2本の大きな川に守られた、そんなターミナルが盛岡なのだ。