適菜 保守とは近代の内部において、近代的思考の暴力を警戒する立場のことだと思います。福沢諭吉は「保守の文字は復古の義に解すべからず」と言いました。近代という宿命、未知の事態、新しい事態に立ち向かうためには、近代精神を知り尽くさなければならないと福沢は言ったわけです。これは小林も同じです。
中野 そう。小林は近代から逃げない。現実から逃げないというのが、小林の基本的なスタンスです。近代に限らず、今置かれた状況や運命から逃げ出すとか、関係ないことを想像するとか、そういうことを徹底的に嫌っている。小林自身がそうだし、彼が書いている福沢諭吉やニッコロ・マキャベリ(1469-1527)もまさにそういう立場の人間です。小林は、そういう置かれた状況から逃げない人たちのことばかり書いています。
小林が比較的若いときに書いた随筆に「故郷を失った文学」というものがあります。今の日本は西洋文学に完全に染まっていて、そこから抜けられなくなっている。そうだったら徹底的に西洋文学をやってやろうじゃないか。自分たちはむしろ西洋文学をよく理解できるようなところにいるんだと捉えるべきだ。そういうことを小林は書いている。それを「居直りだ」と批判をされたりしてるんですね。
小林が歳をとってから書いた福沢に関する随筆でも、言っていることは同じなんです。福沢は、西洋文明を徹底的に学ぶことで、危機を突破したと言うのです。小林が宣長に関心をもった理由もまた、同じでした。要するに、話し言葉しか存在しなかった古の日本に、いきなり漢字という書き言葉が入ってきた。
しかも、象形文字ときたもんだから、「これ、どうすんのよ?」という危機的な状況になった。この危機を古の日本人たちがどう乗り越えたか。徹底的に漢文に熟達し、その結果として訓読という独創的な手法を編み出し、そうやって危機を突破したというのです。この点に、小林はいたく感銘を受けて『本居宣長』を書いているのです。
封建社会と市民社会
適菜 福沢は西欧近代という未知の事態に対し、どのような態度をとったのか。小林はこう述べています。
《福沢の文明論に隠れている彼の自覚とは、眼前の文明の実相に密着した、黙している一種の視力のように思える。これは、論では間に合わぬ困難な実相から問いかけられている事に、よく堪えている、困難を易しくしようともしないし、勝手に解釈しようともしないで、ただ大変よくこれに堪えている、そういう一種の視力が、私には直覚される》(「天という言葉」)
やはり「目」なんですね。宣長もまず漢字の形を見えてくるまで「眺め」ました。さかしらな解釈を拒絶し、「馴染む」まで見る。小林はこう言っています。
《漢ごころの根は深い。何にでも分別が先きに立つ。理屈が通れば、それで片をつける。それで安心して、具体的な物を、くりかえし見なくなる。そういう心の傾向は、非常に深く隠れているという事が、宣長は言いたいのです。そこを突破しないと、本当の学問の道は開けて来ない。それがあの人の確信だったのです》(「『本居宣長』をめぐって」)
既成概念を使って安易に納得するのではなく、目の前でなにが発生しているのか、よく見なければならないと。
中野 ありのままの現実世界と交わるという実践から始めなければいけないということを小林は言っているのですね。