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「青ヶ島には本屋がないので……」

――加絵さんは青ヶ島で生まれ、東京本土の高校に入学するまでの15年間を青ヶ島で過ごしたんですよね。子どものときはどんな生活を送っていたんですか?

佐々木 小・中学校の同級生は5人しかいませんでした。私の学年は人数が多いほうで、学校全体の生徒は20人もいなかったかもしれません。だから、学年関係なくみんなで遊んでいましたね。友だちの家で、好きなアーティストのCDを聞いたり、雑誌を読んだり。

加絵さんは中学まで青ヶ島で過ごし、高校から東京本土で1人暮らしをする

――ちなみに、当時好きだったアーティストは?

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佐々木 当時は、L'Arc~en~Cielと椎名林檎さんが好きでした。でもその頃はネット通販が一般的ではなかったので、CDや雑誌も簡単には手に入らなくて……。東京にいる親戚に頼んで送ってもらったり、東京に遊びに行ったときに買ったりしたものを大事にしていました。

 あと、青ヶ島には本屋がないので、八丈島(編注:青ヶ島から連絡船で約2時間半の場所に位置する)の本屋から本や雑誌を届けてもらったこともありましたよ。電話で欲しい本を注文すると、青ヶ島の役場まで送ってくれるんです。役場には島内の各家庭専用の引き出しがあって、そこに取りに行っていました。ネット通販が普及してからはなくなっちゃいましたけど。

八丈島まで行くのに連絡船で約2時間半かかるという

高校で初めて“連れション”を経験

――青ヶ島には高校がないため、高校進学と同時に東京本土で一人暮らしを始めるのが一般的だそうですね。

佐々木 そうです。同級生の人数が少ないだけでなく、私の場合は同級生が私以外全員男子だったので、「内地の学校には同学年の女の子がたくさんいるんだ!」とワクワクしました。ただ、島と都会では“コミュニケーションの取り方”が違うところもあったので、慣れるまで少し苦労しましたね。

自然に囲まれた島内

――島と都会のコミュニケーションの違いとは?

佐々木 島は子どもが少ないから、先輩・後輩とかをまったく意識しなかったんですよ。みんな年齢関係なく一緒に遊んでいたし、敬語も使わなかったし。基本的にみんな知り合いだから、目があったら手を振って挨拶するのが普通でした。

「同級生でもよく知らない子に急に話しかけたらびっくりされちゃうよ」というのは、高校の友だちに少しずつ教えてもらって。

 あとは、休み時間になると仲のいい子同士でトイレに行くのも、友だちとおそろいのものを身につけるのも、高校で初めて経験しました。すごく新鮮でしたね。

写真=佐々木加絵さん提供