「中体連にも、全中を主催することへの負担感や戸惑いはあるんです」
――それらの問題を解決するために、全国大会のかわりにどんな大会の形が望ましいと思われますか?
中澤 まずは全国大会をやめて、都道府県の大会までの競技システムにすることです。今は中学校が夏休みの間にすべての日程を終わらせる必要があるので、短い時間で効率よくナンバーワンを決められるトーナメント方式を採用する競技が多い。しかしトーナメントは“負けたら終わり”なので、勝利至上主義に陥りやすい。全国大会がなくなれば大会日程に余裕ができて、リーグ戦のような形で試合数を増やすことも可能です。それに部活を生徒自身が創る、という視点に立てば、全国大会の成立は中学生の手に余る大仕事です。わざわざ多くの大人が関わってお膳立てをしてあげるのではなく、日々の活動の延長線上でほどほどに楽しめる競技システムにすべきではないでしょうか。
――ただ、中体連がそのような改革に向けて動いているという話はまだ聞こえてきません。内部の雰囲気はどうなのでしょう?
中澤 中体連にも、全中を主催することへの負担感や戸惑いはあるんです。財務上の負担や教員の負担に加えて、やはり日々の教育との矛盾が教員たちに重くのしかかっている。部活動に本来期待されていた、授業ではない活動で多様な経験をするとか、仲間と協力して組織を動かしていくという理念と、大会で勝つために必要な苛酷なトレーニングはどうしても食い違ってしまう。極端に言えば、大会で勝つためだけなら試合に出ないメンバーは練習する必要もなくなってしまいます。
――聞けば聞くほど、中体連が設立された当時の「大会を拡大しすぎない、教育を大切にする」という考え方が今こそ必要になっているように聞こえます。
中澤 私もそう思います。中体連の設立から70年、全中のスタートから40年が経っていて、現役の先生方の中で組織のアイデンティティや当初の目的を肌感覚で知っている人はほとんどいなくなりました。全中があるのが当然という環境で教員になった方が多いので、前例を踏襲する形で現在まで来たというのが正直なところでしょう。ただ全中の運営は中体連の重荷になり、中体連自身もジレンマに陥っている。私の論文を読んでくれた中体連関係者からは、「中体連や全中のあり方を考え直したいから、話を聞かせてほしい」と声をかけてもらいました。光栄なことで、私もぜひ協力したい。中体連の中にも、変わろうとしている人たちがいる。その動きがいい形で実現することを願っています。