――いまも野球の「防犯大会」は存在しますが、同じものですか?
中澤 その前身でもあった、幻の全国大会バージョンですね。ただ問題は、なんと全国大会を禁止しているはずの文部省がこの大会の後援に加わっていたことでした。しかし大会禁止を守ろうとしている中体連側が反発し、文部省なども交えた話し合いの末に、全国大会は取りやめて都道府県大会までの開催に変更されました。
「教育的な活用」の中身を中体連が検討した形跡が見当たらない…
――中体連が“勝利”したわけですね。そこまで全国大会に否定的だった中体連ですが、1979年からは各競技の全国大会を自ら主催する側に回っています。その間に何があったんでしょう。
中澤 最大の理由は、大会が拡大する流れを止めきれなかったことです。1970年代には、野球やサッカーを含めたほぼ全ての競技団体が今の全中に続く全国大会を開催するようになり、もはや中体連が何を言ったところで中止させることは現実的ではなくなっていました。そこで中体連は方針を転換せざるをえなくなりました。強い選手を育てることが最優先の競技団体に生徒たちを任せるより、いっそ中体連が主催した方がスポーツや部活を教育的に活用できるのではないかと考え、大会を丸ごと引き取ることにしたわけです。
――中学生をよその団体に任せるくらいなら、自分たちで囲い込もうとしたわけですね。
中澤 そうです、なし崩し的に招いた皮肉な結果でした。私としては、競技団体に生徒を任せるより、中体連の手で大会を教育的に活用しようという思いは理解できるんです。特に義務教育年代で、学校の授業や教育が競技団体に邪魔されたくない気持ちはわかる。ただ問題は、全国大会を引き受ける過程で「そもそも中学生年代の全国大会はなぜ必要なのか、教育的な活用とはどういうことか」を検討した形跡が見当たらないこと。「どうすれば教育的か」を定めていないのに、とにかく自分たちならできるという自負が先行していたと言わざるをえません。
――そして、中体連が主催する全国大会で部活はヒートアップしていきます。
中澤 はい、その通りです。ただ中体連をかばうとすれば、大会の過熱は中体連が望んだわけではありません。大会を盛り上げようとする競技団体があり、全国大会を熱望する生徒や保護者、顧問の教員も多い。中体連がそれを食い止められなかったのは確かですが、中体連だけを悪者にするのは正しくないでしょう。さらに大会が拡大するにつれて、全中に出場する学校向けのツアーを組む旅行会社が現れ、人が大勢来るビジネスチャンスを求めて大会を開こうとする自治体もあるなど、全中の拡大から恩恵を受けている関係者も多い。その中で理念を貫いて全国大会の抑制や廃止をするのは簡単なことではありません。
――それほど多くの人に望まれているなら、今のまま全中を存続させてもよいという考え方もできるのでしょうか。
中澤 それはやはり難しいと思います。今のタイミングで全中が大きな問題になっているのには理由があるからです。部活が過熱したことで生徒たちの生活が圧迫され、教員の労働環境が悪化し、パワハラの温床になっていることは事実です。やはり公的支援を受ける形での義務教育年代の全国大会は縮小、または廃止するのが望ましいと思います。全国大会に出られない学校や生徒から集めたお金を全国大会に使ったり、ビジネス的な恩恵を受ける人も偏っていて「平等」の概念からは大きくはみ出しています。