80年代にはドグマがあった
千葉 世界は、米国型資本主義こそ万能でそれ以外はすべて駄目だという、極めて単純な二元論の時代に突入したわけですね。
浅田 他方、79年にはイランのイスラム革命やサウジアラビアのメッカ占拠事件が起きて、グローバル資本主義に対抗するには宗教的原理主義しかないという雰囲気が高まってくる。南の第三世界は東西の援助競争もあって発展の展望を描けていました。それが失われて、狂信と暴力への飛躍が生じるんですね。
僕はそんな状況下では知性は死んでしまうという危機感を抱いたんです。複眼的・多元的な見方や考え方ができるというのが知性の最低条件なのに、それが失われ始めていたからです。
だからこそ、ジャングルのような知の世界を渉猟できるような地図を描きたかった。また、哲学者ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス』などにヒントを得ながら、資本主義から逃走するための地図を描きたかった。それが『構造と力』や『逃走論』に結実しました。旧左翼・新左翼のように資本主義を批判するより、資本主義の大波に乗りながら、微妙に方向をずらして新しい空間に向かうこともできるんじゃないか、と。
千葉 浅田さんの仕事は、米国型の資本主義をひっくり返して、新たな資本主義の可能性を探る試みでもあったんですね。
ただ、『構造と力』が出た時代は資本主義や左翼思想など、打ち破るべき強固なドグマや権威があったわけですよね。いくら殴っても揺らがないサンドバッグのような。だから、それに対抗する緊張関係の中で、脱構築や逃走といった現代思想の概念が、非常に強い効力を持ち得た。
浅田 その通りでしょう。当時、僕より上の全共闘世代からは「あれは資本主義への転向だ」という批判と「いや、左翼思想をファッショナブルに見せているだけだ」という批判が同時に殺到した。言い換えれば、それだけ大きなサンドバッグがあったわけです。でも、千葉さんの時代になると……。