「何時頃に帰れますか?」「帰れないと思いますよ」
――このときに全身性エリテマトーデスが判明したんですね。
後藤 病院に行くなり、点滴やら何やら体中に管が繋がれました。諸々の検査結果を待つあいだ、看護師さんに「明日、朝から仕事なんですけど、何時頃に帰れますか?」と聞いたら、苦笑いされて「帰れないと思いますよ」と。中学3年生の時に、病室から出られないと言われたときの記憶が蘇りました。
検査で、肺に水が溜まっていることと、心臓が傷ついて漏れ出た心嚢液が臓器を圧迫していることが分かりました。結局、そのまま緊急入院。すべての仕事を降板することになりました。
――長期入院になりましたね。
後藤 最初は半年くらいで退院できるという話だったんです。実際、自己免疫疾患の治療法は私が中学生の頃と比べてずっと確立されていました。いちばん心配されていた心臓と肺の状態も改善したので、体はずいぶん楽になりました。3カ月後には外出許可をもらって、『ひだまりスケッチ』という作品の収録に参加できたくらいに。
ところがその後、治療を続けても私の数値はそれ以上改善しませんでした。主治医は、「これだけ高い(炎症の)数値は、自分の医者人生で初めて見た」と言いました。それで、もっとハードな治療をやらなければならなくなって……。
強めの治療は副作用が大きく、日常生活が遠のいてしまうんです。それでも覚悟を決めて半年間その治療を受けたんですけど、1年が経とうという時期に、また数値が悪くなってきて……。
主治医の先生が「ちょっとマズいので、もう一度やりましょう」と。でも、一度目の副作用も収まってなかったので渋ったら、「これをやらないと2週間後の命を保証できないんですよ」と告げられたんです。
――人生で二度目の余命宣告ですね。
後藤 大人になると、面と向かって言われるんですね。でも、2週間って短すぎて、逆に腹が括れました。助けてくれるM先生はもういないし、セカンドオピニオンを敬遠する主治医を説得するのは難しい。そしてその治療を「明日にも始めます」と言うので……。
――……言うので?
後藤 脱走を……(笑)。体につけられていた管をすべて自分で外して、病室を抜け出したんです。近所の診療所に駆け込んで「これこれこういう病気です」「セカンドオピニオンを求めているので、どこか専門の科のある病院を紹介して下さい」と。その後、何食わぬ顔でシレッと病院に戻ったら、エントランスで捕獲されました。大騒ぎになっていたようです(笑)。
結果、転院できたのは何よりでした。新しい病院の初診で、つい私は、「すぐ死にますか?」と聞いてしまったんです。それは、私がいちばん聞きたかったことでした。
でも、新しい主治医からは「死にません」と断言されて、もう驚くやら、泣けるやらで……。医師の言葉は良いものも悪いものも“強い”ですね。ほんと、「2週間」とか「夏いっぱい」とか、やめてほしい。一部の医者には盛り癖があるようにすら思えます。
その後、治療も奏功し、無事退院することができました。