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「死ぬリスクを負ってまで、行く意味とは」野口聡一が“宇宙飛行の意味”を考えるようになった空中分解事故

2022/09/17
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「かつてカッパーロケットの最初の計画図面を前にして、これが芽ならば、樫の木の巨木になる日まで、よく風雪に耐え抜け、と心につぶやいた日を想うと、今は巨木になって日本の宇宙科学を支えているカッパーロケットの歴史の一頁一頁も亦(また)過去の夢にしかすぎない」

宇宙から見た夜明け ©NASA/JAXA

「はやぶさ2」成功の陰に

 そんな糸川氏の名に因(ちな)んで名付けられた小惑星「イトカワ」から2010年に試料を地球に持ち帰ったのが、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の探査機「はやぶさ」だ。月以外の天体からの“サンプルリターン”は世界初の快挙。はやぶさの打ち上げに使われたのは、糸川氏のペンシルロケットの流れをくむ固体燃料ロケット〔M-V(ミューファイブ)ロケット〕だった。

 はやぶさの後継機が20年、別の小惑星「リュウグウ」から目標を大きく上回る5・4グラムもの試料を持ち帰ったのは記憶に新しい。JAXAの津田雄一プロジェクトマネージャーは「はやぶさ2『管制室で震えた“完璧なる帰還”』」(2021年2月号)で、試料の写真を見た時の感動を「『10年越しの勝負に勝った!』と絶叫したい思い」だったと明かしている。

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 困難に直面した際、意見が分かれたり、プロジェクトマネージャーの決断に異論が出て混乱したりしたことはなかったのか。津田氏の語る「備え」が印象的だ。1~2年前から具体的な場面を想定した議論をチームで重ねていたという。

「選択肢は無限にあるので、本番で議論をしていたのでは結論が出るまで時間がかかり混乱が続くことが目に見えていましたから。『このケースの議論の選択肢はこれとこれだ』とあらかじめ二択か三択のレールを敷いておくことにかなりの力を入れたんです」

 この入念な備えがあったからこそ、いざという時のチームの議論が拡散せず、迅速に迷いなく判断を下すことができたのだ。探査機の運用を担う工学者チームと研究を担う科学者チームがスクラムを組み、科学者チームの代表が工学者チームに参加するなど相互理解を促す工夫もした。

 技術力は言うまでもないが、かつて糸川氏が悩んだチーム運営の手法も、60年の時を経て進化したことがわかる。