僕達は、食事をしながら、この会話をしていたのですが、再び、さっきの女性が、「ぎゃあー! やめてやめてやめてやめてええぇぇぇ!」と、叫びました。
と、同席していた年配の男性が、「日本だって、ついこの間までは、犬を食べてましたもんねえ」と、牛のステーキを口に運びながら、当然のように答えました。
「ぎゃあー! うそうそうそうそ! 信じらんないないないいぃぃぃ!」と、また、間髪入れずに、女性が叫びました。
で、食事の席は、何故、犬を食うことが信じられないのかという話になり、女性が、当然のように、だって、かわいそうじゃないのと答え、じゃあ、牛はかわいそうじゃないのかとなり、だって、犬は牛とは違うでしょうという反応が返り、とんでもない、牧場で子供の頃から育ててきた肉牛が出荷される時、牧場の子供は、泣きながら抵抗して、僕はもう一生、牛を食べないと親に叫んで、1週間、肉断ちをするのだけれど、やっぱり、ステーキの魅力にまけて、泣きながら肉を食って、「ああ、これが、人生なんだ」と悟るのだという話になりました。
「だって、犬は賢いでしょ!」
それでも、叫んでいた女性は、だって、牛は放牧されていて、犬は違うでしょうと言うと、辺見さんが、「ええ、ピョンヤンの犬も料理人が言うには、街を歩いている犬じゃなくて、養殖している犬だということです」と、おっとり答えられ、はたして、犬を養殖というのかと、話はずれ始め、放牧に対抗して放犬はどうだろうとか、養豚に対抗して養犬はどうだろう、しかし養犬というとなんだか犬好きのボランティアが年老いた犬を養っているようなイメージを受けるなあと話がどんどんずれ始めた時に、女性が、「だって、犬は賢いでしょ!」と叫びました。
ここで、話はぴたっと止まりました。
僕がゆっくりと、ということは、バカは殺してもいいということですかと質問しました。
女性は、いえ、そんな意味じゃなくて……と口ごもりました。
鯨を食うことも野蛮人という欧米の発想は、まさに、この一点に集約されるわけで、鯨は賢いとかイルカは知能が高いとかいうのは、逆に言えば、牛や豚や鶏はバカだから殺して食うのは当然ですということになるのです。