性にリベラルな江戸時代の庶民層は、当然ながらオナニーに対しても非常に肯定的で、会津藩の国学者・沢田名垂(さわだなたり)が記した『阿奈遠可志(あなをかし)』には、オナニーに対する賛辞が次のように記されています。
かはつるみといかいうおの子の手わざこそ、たぐいなきいみじきものなれ。名をたてず身をそこなはず、世のわらひとなりしためしもきかねば、これも又もとは聖ほとけのみをしへにもやあるらん。
(オナニーはすばらしいものである。なぜなら健康を損なうことも、世間に迷惑をかけることもない仏の教えだから)
このように、一昔前の日本の庶民層においては、オナニーに対する宗教的なタブーも罪悪感の意識もなく、男性が当たり前に行うものとして認識されていたわけです。
西洋的な価値観(オナンの罪)から始まった「禁オナニー」
では、現代のオナニーに対するタブー視は、いったいどこからやってきたのかというと、明治時代の近代化に伴って日本に流入してきたキリスト教文化をベースとした、西洋の価値観からです。
西洋社会においては、18世紀以前から、生殖を目的としない射精、つまりオナニーや腟外射精は、神に対する背徳行為とされていました。セックスはあくまで子をなすための行為であり、避妊をするセックスは快楽のみを得る行為で、とんでもない大罪であるとされていたのです。
旧約聖書「創世記」38章では、オナニーの語源である「オナンの罪」についての記述があります。
ユダには、長男のエル、次男のオナン、三男のシェラという三人の息子がいました。ある時、長男のエルが死んでしまいます。子孫を残すために、次男オナンは、父親であるユダから、残された兄の妻タマルを娶(めと)り、子をなすことを命じられます。
しかし、オナンはそれに背き、タマルと関係を持つたびに腟外射精で精液を地に漏らし続けたことから、「オナニー(正確には腟外射精)という大罪を犯した」として、神に罰せられたという内容です。
19世紀に入ると、オナニーは社会問題として扱われるように
さらに、18世紀に入ると、今度は宗教的な罪悪にとどまらず、オナニーを行うことは、身体や精神に有害であると指摘する書物が出版されるようになりました。
その一つである『オナニア』(1710年出版、著者不明)は、世界で最初のオナニー論を展開している一冊ですが、そこには「自慰のもたらすおそるべき結果」として、「成長の停止、包茎、嵌頓(かんとん)包茎、有痛排尿、持続勃起症、ひきつけ、癇癪(かんしゃく)、インポテンス(ED)、ヒステリー性麻痺、衰弱、不妊症」と、さまざまな症状を挙げています。しかし当然ながら、現代医学に照らし合わせてみても、オナニーはこれらの疾患の誘因にはなりません。