──内心では、一歩引いたところから見ていたのですね。
菊池 そうですね。母に対しても、冷静に見ていた部分がありました。
たとえば、母は熱心な信徒ではありましたが、小学校5~6年生くらいになると、母の信仰は根っこの部分で揺らいでいるように感じていました。
具体的な話だと、母が信仰していた宗教では、ほかの宗教は“邪教”であると教えられ、神社の鳥居もくぐってはいけないと言われています。でも我が家は、七五三に着物を着て記念写真を撮ったり、クリスマスにパーティーをしてケーキを食べたりしていて。そんなダブルスタンダードを受け入れていることにも、「自分には信仰心がない」と感じていたように思います。
14歳の時に自死…亡き母に思うこと
──『「神様」のいる家で育ちました』には、「お母さんも心の底では信じてなかったんでしょう? なのにどうして泣きながらそこにいたの?」と問うシーンがあります。お母さまにとって、宗教はどんな存在だったと思われますか?
菊池 居場所だったんだと思います。どんなに苦しくても、毎日泣いて暮らすほど心のバランスを崩しても、「脱会する」という選択を母がしなかったのは、居場所がなくなってしまうことへの恐怖や不安だったのではないでしょうか。もし、家や友達が居場所になっていたら、母は別の人生を生きられたのかもしれないと、今になって思います。
──お母さまは心のバランスを崩され、菊池さんが14歳の時に自死されたと描かれていました。
菊池 そうです。私の「宗教2世」としての苦しみのいちばんは、そこかもしれません。母が信じている宗教が、母を苦しめている元凶に見えるのに、決して母がそこから離れようとせず、そして私もただそれを見ていることしかできない……。そういう状況が子どもながらに苦しかったのかもしれません。